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あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」

愛知県名古屋市や豊田市を中心に8月1日から開催されていた「あいちトリエンナーレ」が台風19号の余波が続いていた10月14日終了した。当初3日間で展示が中止された「表現の不自由展・その後」ブースは10月8日午後再開され、台風19号の影響で中止になった日

もあったが、最後は中止以前と全く同じ展示が公開された。来場者も65万人を突破し、過去最高となった。展示をボイコットしていた作家も再び展示するなど、「検閲」や妨害に遭いながら、何とか閉幕にこぎ着けた。しかし実行委員会委員長の大村秀章愛知県知事が閉幕後述懐した「今の日本の息苦しさを如実に表す」芸術祭だったことは間違いない。

▽メディア型ソフト・テロリズムと報道機関

一時は危ぶまれた「表現の不自由展・その後」ブースの再開にあたって、実行委側は事前登録制、抽選、手荷物検査、ガイドツアーなど、文化庁のいう「安全安心に配慮」し、抽選で入場者を決めた。報道によると1300人が応募したが初日は60人だけが入室できたという。これ自体「不自由」を表すものだったが、この中で良かったと思われるのは、メディアも入室できなかったということだ。

トリエンナーレのあり方検証委員会は今回の事態を「メディア型ソフト・テロリズム」と評したが、経緯を観ると7月31日の内覧会から始まっている。それ以前にはなかったようなので、内覧会の展示内容が報道されたためとみて間違いない。「抗議」なるホワイトテロは翌8月1日から急増。2日には「火を付ける」と言わんばかりのFAXが送られてきた。

今回の展示再開に際して、観客と一緒にメディアが入室することは拒否されたと報道されている。入っていたら記者は閲覧中の観客に遠慮会釈なく質問を浴びせ、カメラで顔のアップ写真を撮りまくり、自分たちに都合がいいところだけ切り抜いて「ニュース」を創作したに違いない。そうなると、2次テロのような動きも出てくる恐れがあった。テレビニュースを観ていると、観客たちは会場の外で質問に応じた。文化庁の交付金不交付決定に目をつぶっていた記者も、少女像など個別の展示だけを取り上げた質問はしづらかっただろう。

▽世界から相次いだ検閲への抗議

検証委員会委員長の山梨俊夫・独立行政法人国立美術館国立国際美術館長によると、「表現の不自由展・その後」の展示が中止になった後、トリエンナーレに参加している作家からの抗議声明は9月25日現在で88組に達し、展示をボイコットしたり展示内容を変更した作家は海外13人、国内2人になった。山梨委員長によると、いずれも「この規模の展示では相当な数の抗議」という。

また主催者側は10月5、6の両日、主会場の愛知芸術文化センターで国際フォーラム「『情の時代』における表現の自由と芸術」を開催。検証委員会の山梨委員長や憲法学者らが、津田大介・トリエンナーレ芸術監督らを交えて討議した。

そうした課題も多々ある中、芸術文化センターや名古屋市美術館など名古屋市と豊田市の数会場で展開されている芸術は現代美術の展示に留まらず、音楽、パフォーマンス、映像など多様な発信であり、様々な表現に圧倒された。それだけに、展示ブースが閉鎖された「表現の不自由展・その後」だけでなく、展示をボイコットして作品を撤収しているブースの存在が目立つ結果となった。

▽表現の萎縮をもたらす文化庁

5日のシンポでは津田監督が「匿名の群衆からトリエンナーレに対する抑圧が大量にあった。抗議してきた人たちの大半は展示を見ていない、議論に参加する気もない匿名の群衆で、脅迫によって観客と職員が人質に取られて中止を余儀なくされた」と訴えた。

海外の作家たちのほとんどが今回の件を、権力による検閲と判断しているのに対し、日本側は「日本では検閲という言葉が強すぎるので、検閲というと議論が進まない」(横大道聡慶応大教授)などニュアンスの差も浮かび上がっている。しかし有識者委員会への相談もなく、庁内の議事録すら作らないという状態で、なおかつ求めてもいなかった安全性にかかわる報告がなかったという理由で、文化庁が補助金を不交付したことに対しては、あからさまな事後検閲という見方が多数を占めた。

文化庁の恣意的な決定に対し、宮田亮平文化庁長官は10月16日初めて参議院予算委員会という公の場に出て「不交付見直しの予定はない」と答弁したが、撤回を求める署名は10万筆を超え、宮田長官が学長を務めていた東京芸術大学を中心に抗議行動が続けられている。これは似たようなソフト・テロリズムが今後、国内で横行するのではないかとの危惧が強まっているためで、作家たちはこのままではナチスドイツ時代や戦前の日本の軍国主義時代のように表現を萎縮することになりかねない。

▽忘れられた文化芸術基本法

今回の事件が起こるまで知らなかったが、国は2017年に「文化芸術基本法」を全会一致で可決、成立させている。その前文には「我が国の文化芸術の振興を図るためには、文化芸術の礎たる表現の自由の重要性を深く認識し、文化芸術活動を行う者の自主性を尊重することを旨としつつ、文化芸術を国民の身近なものとし、それを尊重し大切にするよう包括的に施策を推進していくことが不可欠である」と書かれている。

この基本法はそれまでの「文化芸術振興基本法」に代わるもので、大きな違いは「表現の自由の重要性の尊重」を前文に入れたことだという。この「表現の自由の尊重」は当時の自民党議員も認めていた。しかし今回の事態で、文化芸術基本法に言及した記事を見た記憶がない。社会部記者なら知らなかったのかもしれないが、文化欄記者も言及しているようには思えない。

先の5日のシンポで曽我部真裕京大教授は「権力監視のために表現の自由は不可欠であり、報道機関の役割が期待されているが、日本では報道機関への信頼が低下しており、民主主義にとって危険な状態」と提起した。英誌エコノミストなどで記者をしているデービッド・マクニール氏も「2012年以降、日本の報道機関は政府の圧力の強化を感じており、批判が難しくなった。(日本は敗戦した)77年前より以前と同じようになっている」と指摘。あいちトリエンナーレは日本の危険性を世界に発信する機会になったのかも知れない。     

2019/10/18