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「ノグンリ事件」

朝鮮戦争の初期に起きた米軍による避難民虐殺        安易な朝鮮有事を語る前に知るべき事実           森村誠一氏の小説が明るみにした「ノグンリ事件」

 1950年6月25日に朝鮮戦争が始まってから1ヵ月後の7月26日、ソウルから南160キロ、釜山からは北に240キロの「ノグンリ」という小さな村で、米軍が3日間にわたって避難民約400人を無差別に虐殺した事件があった。

 最近たまたま古書店で手にした森村誠一氏の小説『サランヘヨ(愛する)北の祖国よ』で、こんな事実があったことを初めて知った。安倍晋三首相が異常なまでに対北朝鮮武力攻撃的な扇動発言を繰り返し、麻生太郎副首相兼財務相が「(武装)難民射殺」とも受け取れる発言をしている最中、日本ではほとんど知られていない避難民虐殺事件を学ぶ必要がある。

▽400人が皆殺しに

 どんな事件だったのか。ノグンリは漢字では「老斤里」と書くそうだ。小説の解説の中で、フリー編集者の成田守正さんが簡明にまとめているので、引用する。

 朝鮮戦争は1950年6月25日に北朝鮮軍が韓国に侵攻して始まった。奇襲を受けた韓国軍および警備に当たっていた米軍は劣勢となり、ソウルから南下。開戦1ヶ月後の7月26日には、忠清北道の道都大田市が北側の手に落ちるなど混乱が広がった。その最中、永同郡イムゲリとジュゲムリの住民約500人が米軍からの避難命令に従い、ノグンリの京釜線の鉄橋に集合した。ここで、住民の避難を指揮していた米軍が本部と通信後に現場を離脱。その直後、米軍の戦闘機が現れ、住民に対して機銃掃射を浴びせた。住民は逃げまどい、鉄橋下の水路用トンネルに逃げ込んだが、米軍はトンネルの両方の口に機関銃を構え、3日間にわたって容赦ない射撃を続けた。米軍撤退後、生き残った者は北朝鮮軍に助け出されたが、米軍の射撃で400人近い住民が犠牲になったとされる。正確な犠牲者の数は今も不明だ。

 この事件は長らく伏せられていたが、1998年に米国の朝鮮戦争関係の秘密文書が公開となり、それを調べたAP通信が1999年9月に事件を配信した「ノグンリの鉄橋」という記事で、米軍上層部の命令による虐殺であったたことを明らかにした。

 それによると、避難民の中に北朝鮮の兵士が紛れ込んでいると疑ってやまない米軍上層部では、第25師団長だったウィリアム・B・キーン少将が7月26日に各方面の指揮官に「戦闘地域を移動する、すべての民間人を敵と見なし発砲せよ」との命令書を出した。ノグンリの避難住民に対しても「敵とみなせ」と命令していた。第1機甲師団司令部が7月27日に「避難民が防御線を越えないようにせよ、越えようとする者は誰であれ発砲せよ」と命令したことで、皆殺し攻撃が実行された。

 森村の小説内の記載によると「虐殺を実行した7月26日、第5空軍と海軍77航空母艦の艦載機離陸記録のうち、他の時刻の記録はすべて残っているのに、11時30分~12時30分の第5空軍、第8戦闘爆撃艦隊と、11時30分~14時の第5空軍の記録だけが紛失しているという」(P129)

▽「北の兵士が紛れ込み」と無差別射撃

 小説は「小説宝石」2009年10月号から2010年9月号まで『志(ビジョン)の拠点』のタイトルで連載され、2011年4月に今の題に改題され光文社からハードカバーで出版された。その後、2014年8月20日、光文社文庫として刊行されている。

 内容は、妻を「鉄道事故」で失った新進作家が、無気力生活を脱する手がかりに韓国ツアーに出かける。そこで事前に決められた以外のオプショナルツアーとして提案されたのが「老斤里(ノグンリ)事件の現場訪問」という企画だった。作家は雑誌記者だった亡き妻が生前ノグンリという言葉を口にしていたことを思い出しツアーを申し込む。名所、旧跡を辿るのではないオプショナルツアーだったが、ツアー客のうち作家を含めて5人が参加。初めてノグンリという言葉を耳にする参加者もいたが、虐殺事件生存者の生々しい証言に衝撃を受ける。5人はそれぞれ問題を抱えて韓国ツアーに参加していたのだが、ノグンリから離れられなくなってしまう。

 5人は帰国後「同窓会」を開くが、作家の妻は不慮の事故ではなく、殺人だった疑いが濃くなり、森村作品でお馴染みの警視庁捜査一課の棟居刑事ら警察官の捜査。作家の妻だけでなく、5人に関係する事件が判明するというストーリーだ。ちなみに作中、作家らが参加したというノグンリ虐殺追悼集会は実際に「ノグンリの証言」とのタイトルで、ユーチューブで公開されているので、今もみることができる。

 ノグンリの虐殺は米軍による機銃掃射や機関銃集中射撃によるものだったが、森村氏は朝鮮戦争で細菌兵器が使われたのではないかとの仮説も小説の中で提起している。ノグンリの虐殺は米軍上層部が「避難民には北朝鮮の兵士が紛れ込んでいるに違いない」との判断から、組織的に行われたものだったが、同じような大量虐殺事件は朝鮮半島のあちこちであったことが、その後の調査で判明している。

▽危険な麻生副首相「射殺」発言

 問題は「北の兵士がいるかもしれない」という類いの疑心暗鬼は、今後も必ずと言っていいほど発生する恐れが強いことだ。中でも、最も危険なのは麻生太郎副首相兼財務相が最近、何度も言っている「武装難民」「射殺」というキーワードだ。

 朝日新聞によると麻生副首相は9月、宇都宮市での講演で朝鮮半島有事の際、大量の難民が生じるとして「武装難民かもしれない。警察で対応するのか。自衛隊、防衛出動か。射殺ですか。真剣に考えなくてはならない」「向こうから日本に難民が押し寄せてくる。10万人単位をどこに収容するのか」と発言した。

 国際社会は難民の基本的人権保障を確保するため1951年7月、国連で「難民の地位に関する条約」を採択。さらに1967年1月31日に「難民の地位に関する議定書」を採択し、今日一般的に両者を合わせて「難民条約」として運用している。

 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、条約は難民の取り扱いに関する最小限の人道的基準を設定。庇護を提供する場合に、政治的な理由で難民認定の基準を変更することがないよう定めている。日本は1981年(昭和56)6月5日の国会承認を経て、10月3日国連に加入書を寄託し、10月15日に交付。1982年(昭和57)1月1日に発行した。

 日本政府を代表する立場にいる麻生副首相は当然ながら、同条約加盟国として責任を持った言動を進める義務がある。それゆえ、先の発言は難民条約を無視するものともいえる。しかし麻生発言を擁護してきた産経新聞によると、政府は11月14日「有事の際に想定されるさまざまな事態について、聴衆の問題意識を喚起する趣旨からなされた」とする答弁書を閣議決定。事実上、追認した。

 「難民の中に武装難民が含まれていたら?」という問題提起をしたというのだろうが、上陸前に武装解除すれば済む話である。実際に、世界各地ではそうした対応をして難民を受け入れている。しかし現在の日本人は不思議なもので、同じ言葉を何度も聞かされると、簡単に慣れてしまうのかおかしいと感じなくなってくる状況にある。自分たちで有事を挑発しておいて、結果的に難民が出たら射殺という対応をするならば、日本は返って国連から閉め出されるのではないだろうか。