啄木鳥 ◎ディールと白人ファート                         米国の行方を暗示する「country」

 

 ドナルド・トランプ氏がついに米国の第45代大統領になった。かつてない低い、支持率と就任式への参加者数。全米、全世界で鳴りやまぬ反トランプのデモ……。就任式から異例づくしの大統領誕生だが、日本では世界で巻き起こっている「反トランプ」のうねりを理解できない人が多いのではないか。

トランプ大統領の世界観は「ディールだ」という声がある。物作りの感覚ではない。不動屋の世界、商売人の世界観だ。脅したり、なだめすかしたり、手練手管で「売り上げ」る。自国や日本の自動車メーカーを脅したツイッター口撃など、その典型だろう。ロシアとの核交渉で、さっそくディールを宣言するなど「損得」勘定を前面に出している。

もう一つが、大統領就任式に参加した人々がほとんど白人だったことでも分かるように、トランプが今後支持を受けるには「白人ファースト」にならざるを得ない状況が生まれている。民族、人種、宗教、性差などあらゆる分野で差別が広がることは間違いない。日本人は間違っても「名誉白人」などではない。白人に差別される有色人種であることをメディアも理解できていない。

この「ディール」という言葉を聞き、さらにトランプを大統領に選んだ米北東部の「ラスト・ベルト」の映像を見て思い出したことがある。

▽交渉するならディールする?

 1989年春、アメリカに渡り住んだ時に、住処探しの次に行ったのは車の販売店(ディーラー)だった。当時は都市生活者の中で、トヨタとホンダ車の人気が米国産の車よりも高かったが、私は前年に北米市場に投入されたばかりのマツダのMPVが気になっていた。まだ日本では販売されておらず、マツダが米国市場を最初に選んで投入した車とあって、米国の車雑誌が特集を組むなどして大評判になっていた。

 ワシントンに到着した直後、夫婦でマツダのディーラーに見に行った。ちょっと試乗程度のつもりだったが、相手した販売員は「お客さんはマツダのMPVと同じく日本から来たので特別にサービスする」と言い、しつこく勧誘する。

 交渉で、私は同僚から聞いていた割引率を示し、この線ならと応じた。しかし相手側は「とんでもない」と拒否。互いの主張する線の間でああでもないこうでもないと、得意でもない英語での取引となった。

 この交渉自体、販売員はいちいち上司の意向を聞きに行って、電卓を叩いたりするので時間がやたらかかる。お腹も空いてきたし、またの機会にして帰ろうと家内は言い出し、相手側に伝えたところ、後ろの方にいた上司が登場してきた。

 そして私の主張と相手の提案をまるで第三者でもあるかのように眺め、「ディールしよう」といい出した。ディールとは相手側の最終提案とこちらの妥協案とではない。いつの間にか最初の頃に戻り、当初の主張とギリギリ歩み寄った数字、それらをごっちゃにして「あんたも、このディーラーも、私(つまりディーラーの管理職)も同じように歩み寄った価格にしよう」というのがディールだった。

 大岡越前守の三方一両損のようだが、考えてみたら大岡忠相に当たる管理職は全く損をしていない。ギリギリ歩み寄った数字の中心よりも、ディーラー側に寄っている。ただ3時間ぐらいかけて、慣れない英語で、相手側だけが電卓を叩いて数字を出す(根拠のよくわからない数字を出すたびに、ワイワイと主張)という交渉だったので、頭もボンヤリしてしまい、ディールに応じて購入してしまった。

 ただ同僚たちに聞いたところ、交渉していたら上司が出てきて「ディール」と言われたことはないとの話。「ディール」と言われるのは特別なのかもしれないと思った。最初からツイッターという非常手段を使って「価格設定」、あるいは「価格破壊」をしてきたトランプ。なんでも対米追随路線の政府と、トランプへの恐怖で交渉どころでない日本企業。既に「ディール」の対象から外されているのだろうか。

▽白人ファーストのcountry

日本のメディアがやたら報道した米国の「ラスト・ベルト」。古き良き時代の中産階級が住んでいた(いる?)と思しき家並みが映し出され、かつて見た映画を思い出した。「砂と霧の家」という2003年公開(日本は翌2004年)の米映画だ。

恐ろしく簡単に言えば、ホメイニ革命のイランから亡命した王政時代の軍人(ベン・キングズレー)が、道路工事などで昼夜を分かたず働き、アル中・ヤク中で夫に捨てられた白人女性(ジェニー・コネリー)が住んでいて競売にかけられた家を買うが、競売自体が郡のミス。その家を拠り所とする女性が郡保安官を籠絡して亡命者から取り戻そうとする

内容だった、と思う。

ストーリー自体はそう単純ではないが、保安官は白人の米国人であることをことさらに示し銃も取り出して威圧するが、亡命軍人の風格に圧され、軍人の家族(子供?)を誘拐する。子どもは死に、軍人も自殺する。保安官は妻子がいたが女性のために犯罪に走り刑務所に。唯一女性に優しくしてくれた亡命軍人の家族を女性は失ってしまう、という内容だったと記憶している。

 ストーリーはhouseではなくhome、つまり人のぬくもりが通うところが大事だと教えてくれようとしたのかもしれないが、それ以上にアメリカの実態を示しているように思えた。

イランでホメイニ革命が起きたのは米国など西欧の圧力が原因でもあった。反米のホメイニ革命によって国を追われて亡命を余儀なくされた軍人は、手のひらを返すかのような米国の仕打ちにじっと我慢をして、3K職場で働く。一方の白人女性は働くこともせず税金を滞納して暮らしている。競売にかけられた家を、警察権力をちらつかせて取り戻そうとする行為は「白人ファースト」以外の何物でもない。

「砂と霧の家」の舞台はサンフランシスコだったが、トランプ「革命」によって、全米で同様の悲劇が巻き起こるのではないか。オバマ前大統領が「国」という意味で使った言葉「nation」。それに対してトランプ新大統領が使う言葉は「country」と指摘した評論家がいた。人が存在しないhouseと同じように、countryを連呼するトランプの米国。1998年に原作が書かれ、2003年に映画化された「砂と霧の家」は米国の今後を暗示している気がしてならない。

(2017年1月23日)