「紀行」関東軍731細菌戦部隊の遺跡を訪ねて(2)

(2)731部隊の中枢「ロ号棟」発掘された悪魔の要塞、マルタ収容の監獄棟も

 中国黒竜江省ハルビン市平房区。「東洋の小パリ」とうたわれ、日本人の文人や音楽家が旅行したハルビン市の中心街から約20キロ離れた荒野に、関東軍第731部隊の本部が極秘に造られた。1980年代まで、その詳しい所在地は関係者だけの秘密だった。

関東軍第1539号命令によって約120平方キロメートルもの特別軍事区が設定され、友機も近隣の飛行を禁じられ、地上からの撃墜さえ認められていた。その731部隊の細菌戦の中枢が「ロ号棟」だ。

 

▽立証された『悪魔の飽食』

 ロ号棟の存在はかなり前から認識されていたが、具体的に明らかにしたのは1982年刊行された森村誠一著の『悪魔の飽食』だった。同書に添付された「満州第731部隊要図」と『続・悪魔の飽食』に掲載された1940年撮影とされる731部隊の航空写真は衝撃的で、ロの字型をした巨大な建物がひときわ目立っている。こうした情報を基に、中国政府は1982年正式に731部隊の発掘調査に乗り出したという。

731部隊は1945年8月、敗戦濃厚と判明した段階でいち早く日本に逃げたが、その際施設を完全に破壊してしまい、全体像も部隊がいた場所もあいまいなままになっていた。森村誠一氏は『悪魔の飽食』で「(1982年当時の)現在、その所在場所についてさまざまなことが伝えられ書かれている満州第731部隊の、ここが正確な所在地である」と書き、マルタと呼んだ留置者を収容していた監獄棟はじめ細菌兵器製造などを行った施設であるロ号棟についても詳細に記載した。しかし敗残部隊が爆破して埋め平地となっていたため、実態を証明するものがなかった。

ハルビン市政府の手で数年前から発掘され、昨年4月にひとまず発掘作業を終えたロ号棟。土台とみられる部分まで発掘され、長さ約150メートル、幅約100メートルのロの字をした巨大な建物と、その内側に特別監獄といわれた2つの建物からなっており、上から見ると漢字の田のような形であることが確認できる。2つの特別監獄は7号棟、8号棟と名付けられ、『悪魔の飽食』によると7号棟には「男マルタ」、8号棟には「女マルタ」が収容されていたとされる。

 現在はロ号棟の周囲に見学用通路が作られ、見て回ることができる。その中で「特別監獄」は外から見ると半地下のような位置にある。生体実験や細菌兵器実験などを行っていた施設は監獄を取り囲むロの字型の建物に配置され、発掘された部分だけでも収容されたマルタはどこにも逃げ場がないことが一目で分かる。『悪魔の飽食』刊行当時いろいろな論争が起きたというが、この発掘現場を見ると同書の記載が立証されたといえそうだ。

一応、発掘は終えているようだが、それでも地下から伸びて林立しているパイプが何の目的だったのか不明な点も多く、隣にある本部棟からの地下道も出現していないことなどから、今後も発掘・復元作業は続けられるようだ。

 

▽「粋を凝らした工事」

 『悪魔の飽食』はこの施設について「関東軍司令部が直接監督し、工務関係部署の念入りな設計と日本特殊工業、大林組ほか軍の御用業者の手による施行で完成した」と断定しているが、今回一緒に回った京都府立大学の広原盛明元学長(建築学)によると、どのゼネコンの社史にも731部隊の施設を建設したという記録がないとのこと。当時、旧満州でこれだけ大規模な建設工事ができたゼネコンは清水、鹿島、大林、竹中ぐらいとされる。今も日本をリードするゼネコンだ。当然ながら元請けであるゼネコンの下に多くの下請けが来て工事に参加していたことは間違いないが、極秘扱いだっただけに明らかになっていない点が多い。

 「念入りに設計」した関東軍の工務関係というのは事実上、満鉄の技術者を指すのだろう。実際に満州医大の設計などは満鉄がやっていた。広原元学長によるとロ号棟ぐらいの設計になると10人~15人ぐらいの設計者が半年くらいかけて行うレベルとのこと。

 ロ号棟だけでなく広大な飛行場など全体で80カ所以上の施設をわずかな期間で秘密裏に造ったということは、相当な人員を動員したことは間違いない。731部隊を調査しているハルビン市社会科学院731問題国際研究センターの楊彦君所長によると、建設工事は1939年に竣工、当初は同じハルビン市郊外の背陰河で「加茂部隊」あるいは「東郷部隊」と名乗っていた石井部隊は順次、移ってきた。ちょうどソ満国境でソ連軍との間で「ノモンハン事件」(5~8月)が起きた年である。

 

▽「粋を凝らした工事」

 『悪魔の飽食』はこの施設について「関東軍司令部が直接監督し、工務関係部署の念入りな設計と日本特殊工業、大林組ほか軍の御用業者の手による施行で完成した」と断定しているが、今回一緒に回った京都府立大学の広原盛明元学長(建築学)によると、どのゼネコンの社史にも731部隊の施設を建設したという記録がないとのこと。当時、旧満州でこれだけ大規模な建設工事ができたゼネコンは清水、鹿島、大林、竹中ぐらいとされる。今も日本をリードするゼネコンだ。当然ながら元請けであるゼネコンの下に多くの下請けが来て工事に参加していたことは間違いないが、極秘扱いだっただけに明らかになっていない点が多い。

 「念入りに設計」した関東軍の工務関係というのは事実上、満鉄の技術者を指すのだろう。実際に満州医大の設計などは満鉄がやっていた。広原元学長によるとロ号棟ぐらいの設計になると10人~15人ぐらいの設計者が半年くらいかけて行うレベルとのこと。

 ロ号棟だけでなく広大な飛行場など全体で80カ所以上の施設をわずかな期間で秘密裏に造ったということは、相当な人員を動員したことは間違いない。731部隊を調査しているハルビン市社会科学院731問題国際研究センターの楊彦君所長によると、建設工事は1939年に竣工、当初は同じハルビン市郊外の背陰河で「加茂部隊」あるいは「東郷部隊」と名乗っていた石井部隊は順次、移ってきた。ちょうどソ満国境でソ連軍との間で「ノモンハン事件」(5~8月)が起きた年である。

 

 

 

基本的な設計は初代731部隊長だった石井四郎軍医中将が考え、専門家に詳細設計させたと思われるが、掘り起こされたロ号棟を見て感じるのは、石井部隊長が最初から細菌戦のために中国人やロシア人、朝鮮人などを捕まえて生体実験を行い、その証拠を完全に隠ぺいできるような仕組みを考えていたというこだ。生きている人間の解剖などは行きがかり上行ったというものではなく、731部隊のキモであり、最初からジュネーブ協定書など各種国際協定に違反し、敗戦となったら戦犯に問われることを承知していた。

▽戦争犯罪に反省のない日本の科学界換気から室温管理まで、当時の内地の医学医療施設にもなかったような「粋を凝らした設計」(『悪魔の飽食』より)の建造物群を持つ731部隊には、50人を超す医学博士、100人以上の高等官などトップクラスの専門家らが集まったという。戦後、重い口を開いた関係者は一様に戦犯に問われることを認識していた。犯罪行為を認識していながら、むしろ積極的に生体実験を行ったこと、それを許した戦前の日本の医学、科学界にはいまだに真摯な反省の色はない。

 その一つがロ号棟などから約100メートル離れた場所にある凍傷実験室と、そこで行われた吉村寿人陸軍技師らによる、むごたらしい生体凍傷実験だろう(吉村氏自身は生体実験を行ったことを否定)。凍傷実験室は現在も残っている。吉村技師は戦後早い段階から京都大に復帰。日本学術会議南極観測特別委員会に、731部隊第2代隊長だった北野政次元軍医少将と一緒に参加。京都府立医科大学学長まで務めた。吉村氏の戦争・戦後の行動については常石敬一著の『医学者たちの組織犯罪』に詳しい。

 なお『悪魔の飽食』によると、生体解剖を行ったとされる「解剖室」はロ号棟の中ではなく、ペスト研究の「高橋(将彦)班」の建物という。同書の要図によると、高橋班の建物の脇には「死体焼却場」が描かれている。残念ながら戦後アパートが建ってしまったが、ハルビン市は住民に別の住まいを提供し、アパートを建て壊して調査することにしているという。731部隊が殺害したマルタの数は3000人とも言われている。完全に消し去ることは困難とみられるので、発掘によって新たな犯罪の跡が出てくる可能性もある。

(続く)