平成の命山と津波避難タワー 地震対策先進県・静岡にみる実効性の高い対策

東日本大震災の津波被災を受けて、東北各地の太平洋沿岸一帯で堤頂高10~15メートル(ところによっては幅90メートル)という巨大防潮堤の建設が次々進められようとしている。海岸線に沿って、万里の長城のようにコンクリートの堤(あるいは壁)をめぐらす計画だ。しかし、その一方で避難路はほとんど想定されていない。

 構造物だけに頼ることの問題点は、崩壊した巨大防潮堤に頼っていたため、避難の遅れで多数の住民が犠牲となった岩手県宮古市田老地区の例でも明らかだが、相変わらずコンクリートのハード依存から抜け出せていない。

 そうした中、明日にも発生するとされてきた東海地震や、近い将来発生するとされる南海トラフ地震への備えが進められている静岡県で、東日本大震災を受けて費用対効果の高く実効性のある津波避難計画を進めていると聞き、見に行った。

 

▽平成の命山

 その一例が静岡県袋井市で造成されている平成の命山だ。同市湊地区では2012年末「湊命山」が国道150号沿いに造られた。商業施設の跡地を利用したもので、遠州灘の海岸線から約1.31キロ入ったところにあり、付近の海抜は2~3メートルという。命山の敷地面積は6400平方メートル、頂上部面積1300平方メートルで、海抜は10メートル。頂上部の広場は約1300人の収容が可能。4カ所の階段に加えて、スロープ状の坂道が特徴で、足腰の悪い人や車いすでも自分で頂上まで登ることができる。河川改修工事の残土を活用して盛り土したといい、総工費は約14千万円。

 「湊命山」に登ってみると、必要性がよく分かる。命山から海の方向を見ると、海岸線に沿って生えている松林が見えるが、津波襲来時に遮る物はない。一方、反対側をみると農地が広がっており、近くには逃げていけるような高台はない。

 袋井市は同じ形状の命山を湊に続いて3カ所造成する計画で、同市中新田地区では土盛りが進められていた。実は、この中新田地区には既に「命山」がある。1600年代末の江戸時代前期に造られた「中新田命山」だ。すぐ近くにある「大野命山」とともに、静岡県指定史跡となっている。

 

 中新田命山の説明文は「旧磐田郡浅羽町(現・袋井市)中新田、大野地区は集落の東側や北側にかけて入り江が深く入り込み、高潮の被害を受けやすい地形でした。延宝8年(1680)8月6日に東海地方を襲った台風は、江戸時代最大といわれるほど多くの被害をもたらしました」と記載。『百姓伝記』によると村民約300人が高潮被害で死亡したと伝えられている、という。

 地元の横須賀藩の『横須賀根元歴代明鑑』によると、延宝の高潮災害の後に横須賀藩の技術指導を受けて避難所となる築山が集落の中心に造られ、「その後の高潮では村人全員がこの山に登り、船で対岸の横須賀から食料を調達したり、潮が引くのを待ったことなどが詳しく記載されています」と書かれている。そのうちに、この築山を「命塚」「助け山」「命山」などと称するようになり、今では「命山」の名称が定着した。「大野命山」もほぼ同時期の構造物らしい。

 少なくとも今から300年以上も前に造られた2つの命山だが、土を持っただけの構造物にもかかわらず、当時の姿のまま残っている。今見ると、予想外に小さい。しかし『明鑑』では「村人全員がこの山に登り」と記されているので、必要かつ十分な面積だったとみられる。さらに当時の高潮被害状況をみて高さも十分と判断して決めたのだろう。

 

▽15基の避難タワー

 同じようなことが静岡県吉田町の津波避難タワーでもいえる。吉田町は東日本大震災を受けて津波避難タワーを2014年3月までに15基建設した。遠州灘から数百メートルしか入っていない地区から1キロぐらいまでの南海トラフ地震津波想定浸水域の街区ごとに造られ、1基の収容人数は500人から1300人。タワーには広い「デッキ」があり、デッキまでの高さは5~8メートル。いずれも想定浸水深より3メートル程度高く建造されている。15基で想定浸水域に住む住民約1万7000人を全員収容できる、という。各タワーは地中30~40メートルまで杭を打ち、震度7クラスの地震や、最大風速毎秒55メートルの強風に耐えられるとしている。1200人が避難できる「K街区」の工費は4億5千万円と命山に比べて高くなっている。

 特徴的なのは「歩道橋型津波避難タワー」と名付けられた6基のタワーだ。町道中央幹線をまたぐ形で造られており、あらためて土地を確保する必要がない。また日常の生活の中でたえず目に触れており、いざという時に思い出しやすい。


 土を盛った命山が数世紀の時を経ても残っているのに比べ、避難タワーは鋼鉄製で、老朽化すれば改修や建て直しなどが迫られることになる。しかし静岡県内の沿岸部は「明日起きてもおかしくない」とされる東海地震と向き合って暮らしている。いざとなったら全員避難できると認識できる場所が既にあるということの方が、より安心感は増すに違いない。

201557日)