大きな事変の背後にある小さな予兆に覚知を

第二次大戦が終わって70年の節目となる年が明けた。天皇陛下が昨年末の会見で吐露したように、日本はこの70年間戦争をしないできた。しかし最近、国内では「非戦」「平和」な国が普通ではないかのような言説がまかり通っている。

 そもそも日本国内では70年前に戦争が終わった日についても誤認が多い。大半の人は「815日に終戦」という認識で、92日に連合国と降伏文書を交わし戦争が終結したという事実を忘れているようだ。815日はあくまで日本帝国政府元首であった昭和天皇がポツダム宣言を受諾する旨を国民に放送し、軍部に戦闘を終止するよう指示(実際は「停戦命令」)した日である。

 当時の歴史を簡単に振り返ってみると、日本政府がスイス政府を通じて、ポツダム宣言受諾を連合国に伝えたのは前日の14日である。米国では同日日本の降伏受諾が報じられたが、トルーマン米大統領は日本が正式に文書調印するまでは戦争終結としないと指示したと伝えられている。

 正式には92日に昭和天皇が「降伏文書調印に関する詔書」を発して、降伏文書への署名と履行を、軍部を含む全政府機関に命令。同日、日本政府を代表して重光葵外相、梅津美治郎参謀総長、連合国を代表してダグラス・マッカーサー最高司令官が東京湾に浮かぶ米戦艦ミズーリの甲板で文書に署名、発効して戦争が終結した。50年ほど前には社会科の教科書にミズーリ艦上での調印の写真が載り、その認識はあったと思うが、今でも残っているのだろうか。

 国際法上815日から92日までの17日間は「停戦」状態であり、米国やフランスは降伏文書が発効した92日を対日戦勝記念日(VJデー)とし、中国は翌3日を抗日戦争勝利記念日としている。10年前の200592日には旧連合国各国が戦争終結60周年の記念行事を行っている。今年は特にVJデーが国際的な焦点となりそうだ。

日本と諸外国の認識の違い顕著に?

 戦後70年目の今日、様々な「記念行事」が行われるものとみられるが、日本と諸外国の間であらためて「日本が降伏した」という戦争終結に対する認識の違いが浮き彫りになるのではないか。さらに日本の敗戦から始まったはずの戦後に対する認識は、さらに大きくずれ込むのではないかと懸念せざるを得ない。

 日本は日中戦争から15年間戦争を続けていたことから、15日に玉音放送を聞いて、意味は分からないままに「ようやく戦争が終わった」との感慨を持った人が多かったことが「815日に終戦」という印象を強めていることは否めない。しかし「815日に戦争が終わった」と部外者のような感想を抱いている日本人と、「92日をもって日本に勝利した」との事実を突きつけてくる旧連合国国民の乖離は、かなり決定的なものと思える。

 戦後しばらく日本が経済で世界に乗り出し高度成長期に達するあたりまでは、乖離は顕著ではなかったようだが、経済大国になったころから、実際に敗戦したことを忘れたようにして「自虐史観」などと強調する論調が目立ってきた。さらに今日、町の本屋には排外主義を丸出しにしたアジ評論が山積みされ、週刊誌には「国賊」などの異様な表現がまん延している。こうした動きは「戦後レジームの脱却」を声高に叫ぶ安倍晋三政権の秘密保護法施行、集団的自衛権発動などの一連の政策と無縁ではない。しかし国民の関心は10年前に比べても薄れているようだ。

「茹でガエル」では変化に負ける

 ビジネスの分野でよく使われる警句に「茹でガエル現象」という言葉がある。緩やかに昇温する冷水に入れたカエルが熱くなっても水の中にとどまるように、人間も環境の変化がゆっくりと進むと知覚できずに致命的になるという警句だ。実際にはカエルはわずかな変化も知覚して水から飛び出すが、人間はなまじ環境適応能力があるために、変化を覚知するのが遅れ致命的になると指摘されている。この「茹でガエル」はビジネス・チャンスをつかむかどうかという問題だけでなく、自分の周りの社会環境の変化を覚知するか否かとして捉えた方がいいのではないか。

 ここ数年、個々の事実だけを見ると、たいしたことではなさそうな出来事が多数発生している。それも、さいたま市のある公民館広報誌が9条俳句を拒否したような「憲法」「9条」「原発」などのキーワードが絡むテーマに集中している。個々の事象について、いちいち「目くじらを立てなくても」とする意見が多発しているが、そうだろうか。

 重大事故・災害の発生に関する有名な法則に「ハインリッヒの法則」というものがある。米国で統計学的に調査した5000例もの労働災害事例を基に1929年に発表されたもので、1件の重大な事故・災害の背後には29件の「軽微な事故・災害」があり、さらにその背後に300件の事象(ヒヤリ・ハット)が起きているとする法則で「129300」という数字は多方面に引用されている。畑村洋太郎氏が「失敗学」で重大事故などに拡大したように、社会的な事象にも当てはめられるのではないだろうか。重要なのは、決定的な事態とヒヤリ・ハットが同じ原因に根ざしており、小さな予兆に気を配っていれば事前に防ぐことができる可能性があるという視点を持つことで、ハインリッヒは「重大事故の98%は事前に防げる」と主張していた。

 ハインリッヒの法則に従えば、例えば戦争が勃発した場合、その背後には29件の「戦争にはならなかったが危ない事象」が起きており、さらに300件の「ヒヤリ・ハット」が発生していたということになる。なおかつ、戦争の98%は「事前に防ぐことが可能」でもあるわけだ。

 そのためには「小さな予兆に気を配る」ことが最重要ということになる。小さな変化だからと茹でガエルのように順応してしまうのではなく、心ある人が率先して変化を「予兆」として声を上げ続けていくことが今年最も大事なことだと思う。

201516日)