宛先: 村井嘉浩宮城県知事

賛同者の署名は以下の宛先へ届けられます

村井嘉浩宮城県知事

村井嘉浩宮城県知事は東日本大震災で被災した気仙沼市や南三陸町など三陸一帯に巨大防潮堤を構築する考えを白紙撤回してください。巨大防潮堤建設で気仙沼、特に小泉海岸と津谷川流域を消滅させ、さらには日本の沿岸部をコンクリートで囲まれたゴーストタウンにするのを止めてください。

田崎 耕次

Yokohama-shi, 日本

村井知事は防潮堤構築の理由を「命を守る」「安全・安心のため」と主張し続けていますが、東北大学災害科学研究所の報告書は、三陸海岸では「減災効果は少ない」と指摘しました。日本学術会議も分科会提言で「第三の道」を構想するよう提言しています。

 三陸の中でも気仙沼市本吉(小泉)地区では住民は既に高台移転を決め、防潮堤を構築しようとしている小泉海岸では後背地は山と農地しかなく「命を守る」ことは理屈に合いません。また小泉海岸に流れ込む津谷川の両岸をコンクリートの堤防で覆い尽くすことは、地域の主要産業である沿岸漁業を破滅に追いやるだけでなく、津波が遡上した場合、上流まで奥深く被害を与えかねません。

 

 村井知事は本当に「命を守る」と主張するのなら、防潮堤だけではなく「避難タワー」や緊急避難路の整備を同時に構築するべきです。しかし知事からは防潮堤以外の提案はありません。1993年に同じように地震・津波で壊滅的な打撃を受けた北海道・奥尻島では狭い青苗地区に防潮堤と避難のための人工地盤「望海橋」と42本の避難路が同時に整備されました。このことを考えても、知事が本当に「安全・安心」を考えているのかどうか、極めて疑問です。むしろ「安全・安心」を強調することで、「津波てんでんこ」に代表される避難意識が損なわれる危険性が強いと言わざるを得ません。津波対策には面的、複合的な対策が必要です。村井知事は総合的な避難対策を提示してください。

 

 日本学術会議の社会学委員会・東日本大震災の被害構造と日本社会の再建の道を探る分科会は9月28日「東日本大震災からの復興政策の改善についての提言」を発表し、「復興政策に『のる』か『のらない』か、ではなく『第三の道』を住民と行政が一緒に構想するよう」提言しました。その中で、学術会議は「防潮堤中心の被災地再生計画には、様々な難点が存在する」とし環境破壊の恐れ、漁業の存在基盤が奪われる可能性、計画決定手続きからの住民の排除、長期的に見た予算不足の恐れ、ハードの施設に偏重する防災計画への疑問、コミュニティーを衰弱化させる可能性、減災の観点の軽視など様々な問題点を指摘しました。これらの指摘はいずれも巨大防潮堤に疑問を持つ人々が抱いてきた課題であり、専門家と住民が同じ問題意識であることの証左といえます。

 

 日本では大昔から幾多の災害に見舞われてきましたが、先人たちは自然の猛威におびえながらも調和を図って町や村を発展させてきました。津波被害は東北だけでなく、全国各地で記録されていますが、その一つ、1854年に起きた安政南海地震津波の時に住民を避難させた「稻むらの火」のモデルとして知られる濱口悟陵は、その後私財をなげうって紀伊国広村(現・和歌山県広川町)に津波の遡上を農地に促すような対策を施しました。それから百年以上たった1946年に再び南海地震が発生し、広村(広川町)にも津波が押し寄せましたが、遡上してきた津波は濱口悟陵が設計した通りに地面の勾配に沿って農地に流れ水田が遊水池となって村の大半は大きな被害を免れました。これこそが子孫に誇れる津波対策ではないでしょうか。

 

 そもそも村井知事はじめ宮城県の当局者は、何を持って巨大防潮堤だけを津波対策としているのか、理解に苦しみます。東日本大震災後の中央防災会議は押し寄せてくる津波を最大クラス(L1)と発生頻度の高い(L2)津波に分け、今回は「比較的発生頻度の高い一定程度の津波高に対して海岸保全施設等の整備を進めていく」としました。

 これを受けて農林水産省と国土交通省は「設計津波の水位の設定方法」とする通知を各地方公共団体に行い、その中で堤防等の高さについて「設定された設計津波の水位を前提として、海岸機能の多様性への配慮、環境の保全、周辺景観との調和、経済性、維持管理の容易性、施工性、公衆の利用等を総合的に考慮」することを求めましたが、巨大防潮堤決定までのプロセスの中で、こうした考慮は全く明らかになっていません。宮城県は考慮したのなら、県民および納税者に開示する義務があります。

 

 東北大学災害科学研究所が今年6月発行した「東日本大震災から見えてきたこと」の中の「2011年巨大津波による海岸堤防の破壊と復興」によれば、中央防災会議および国の指針を受けて宮城県が設定した津波の防御水準は「後背地の人口や資産の蓄積を考えた場合、治水事業に比べて過大防御」と指摘。また中央防災会議のいう「越流した津波から壊れにくくする粘り強い海岸堤防」に対しても、「中央防災会議が期待した、粘り強い海岸堤防による減災効果は期待できない」と断言しています。

 

 防災ではなく減災という考え方を示した中央防災会議の委員である河田恵昭・関西大学教授も今年7月10日、外国特派員協会で行った記者会見で「構造物だけでは防御できないという前提で、防潮堤や盛土、高台移転など多重防御、面的防御という考え方を取り入れた。始めに防潮堤ありきではなく、防潮堤だけでまちを守るという考え方にたっていない。いかに逃げるかが対策の中心だ」と強調し、「(後背地に)農地しかなければ防潮堤は要らない」と断言しました。

 

 村井知事始め宮城県が行おうとしている巨大防潮堤建設は、その考え方から「命を守る」ものでも「安全・安心」なものでもありません。村井知事は津波からいかに住民を守るか、被災住民の想いをくみ取り基本に立ち返って考え直すべきです。

 

 宮城、岩手の三陸沖は「世界3大漁場」の一つともいわれ、昔から漁獲量の多い、優良な漁場として知られてきました。また養殖漁業も盛んで、震災前には養殖銀鮭の99%は宮城県産でした。また2009年度の宮城・岩手両県の養殖漁業の全国シェアをみるとホタテ貝は8.4%、カキが29.3%、ワカメに至っては79.2%となっていました。こうした沿岸漁業の隆盛を受けて、気仙沼市を例に取ると2005年度の産業構成は食品製造(水産加工)が22.5%、漁業が5.8%と3割近くを占めていました。また宮城県内平均に対する特化係数は漁業が10.9、食品製造が5.2となっており(いずれも七十七銀行調査)、漁業特に沿岸の養殖漁業が衰退すれば町全体が消滅の危機に瀕してしまうことは明らかです。

 

 こうした漁業は海さえあればできるものではありません。山、森がなければ海も死んでしまいます。江戸時代にはこうした森を「魚つき林」と呼び、「魚つき林」を切った者を死罪とするほど厳重に守り育ててきました。こうした努力の積み重ねによって、里山や森の恵みは川の水や地下水によって海に注がれ汽水域をつくり、豊かな漁場となってきました。(株)海藻研究所の新井章吾所長によると南三陸町の伊里前沖では地下水がわき出ている一帯の塩は甘く、逆に沖合から流れてくる塩は辛いそうで、養殖は甘い塩の範囲でしかできません。陸域からの湧水と沖合からの海水の循環が優良な漁場の条件ともなっており、このことは里山、里地、里川、里海という連環が海を育て、地場産業を隆盛させてきたことの証左といえます。小泉湾においても,津谷川からの恵みと地下水による水の供給は,海の資源に対して大きな影響を与えていると推察されます。津谷川では震災後、6万匹ものサケが上ってきているとのことです。さらに,震災後に戻ってきた貴重な砂浜が持つ機能は,命のゆりかごであるだけでなく,今後,地域資源として重要なものになるにも関わらず,防潮堤の計画により消滅し,いつまでに回復するか県は見通しを立てていません。

 

 里山、里地、里川、里海という連環が巨大防潮堤で遮断され、沿岸漁業が立ち行かなくなった場合はそこで働く人々は故郷を捨てざるを得なくなります。若年男性の働く場がなくなれば若年女性も一緒に減少、子どもたちの姿は消えてしまいます。残るのはコンクリートの「城壁」と荒れ果てた農地となってしまうでしょう。まさに三陸沿岸部を「コンクリートに囲まれたゴーストタウン」(小熊英二慶応大教授)にするものと言わざるを得ません。村井知事はこれ以上、三陸さらには日本を壊さないでください。

宛先

村井嘉浩宮城県知事

村井嘉浩宮城県知事は東日本大震災で被災した気仙沼市や南三陸町など三陸一帯に巨大防潮堤を構築する考えを白紙撤回してください。巨大防潮堤建設で気仙沼、特に小泉海岸と津谷川流域を消滅させ、さらには日本の沿岸部をコンクリートで囲まれたゴーストタウンにするのを止めてください。