科学界は軍事研究に実質的に踏み込むか、とどまるか

科学ジャーナリズムも姿勢が問われている

 

 軍学共同研究に対するアカデミズムの対応を検討してきた日本学術会議は4月13日から始まる総会で、3月7日にまとめた新声明案の採決を行う。

 新声明案は、軍学共同研究そのものに反対するか、「自衛のための」一定程度の軍事研究を容認するかのせめぎあいとなっていたが、1年あまりにわたって論議してき「安全保障と学術に関する検討委員会」は最終的に「戦争目的の軍事研究を行わない」としたかつての声明を「継承」することで一致した。ただ最大の論議ポイントとなった「デュアルユース」についての議論は声明案に盛り込まれていない。軍事研究拡大に歯止めをかけられるかどうか、総会の論議が注目される。

 

▽「軍事研究しない」声明は「継承」

 学術会議による検討の最大のポイントは、学術会議発足時の1950年に採択された「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明(声明)」、および1967年採択の「軍事目的のための科学研究を行わない声明」を堅持するか、修正するかだった。

 3月7日に発表された新声明案では「『軍事研究をしない』とした1950年と67年の声明を継承する」としたが、2つの声明のような「絶対に従わない」「行わない」という毅然とした表現は使われていない。

 一方で、軍学共同研究への参加も「防衛省の研究公募制度は政府による介入が著しく、問題が多い」として、政府の介入が学術の発展の阻害要因になるとの見解を初めて示した。参加の可否については各大学が妥当性を審査するよう求めているが、7日に記者会見した検討委員会の杉田敦委員長は「否定的メッセージが強い。相当強い批判を込めている」と述べている。実際に、声明案が出た後、軍学共同研究に熱心だった豊橋技術科学大学(大西隆学長=日本学術会議会長)は新声明案に沿った規則を制定したと3月23日付け東京新聞は伝えている。名古屋大学も「軍事技術に直結する研究に歯止めをかける独自の指針を策定する」とし、滋賀県立大学も防衛省の助成に応募しないことを決めたという。

 しかし、微妙なのは「直結」などの表現だ。もともとアカデミズムは「軍事研究には反対」ということを否定していない。しかし、その内容については十分「継承」したとは言えない。日本物理学会は既に1995年「学会が拒否するのは明白な軍事研究」と限定していたし、今回も「国のためになる研究や、自衛目的の研究は別」(検討委員会での小松利光・九州大名誉教授の発言)など、2つの声明を換骨奪胎する方向が続いてきた。そもそも何をもって「明白」とするか、科学者ながら定義もしていない。

 検討委も当初は「軍事研究」だったのが、中間取りまとめ案が出た後「防衛装備技術研究」に用語を換えるよう要求があり、最終的に「軍事的安全保障研究」になった経緯がある。新声明案では「大学などは、軍事的安全保障研究の適切性を審査する制度を設けるべきだ」としているらしいが、どこまでブレーキを踏むことができるのか。

 

▽背景に安倍政権の軍拡志向

 心配なのは、防衛省が巨額の研究資金の提供で研究者を釣ろうとしている一方で、純粋な民生分野の研究費が削られ続けていることだ。2016年のノーベル医学・生理学賞を受賞した東京工業大学の大隅良典栄誉教授は「社会がゆとりをもって基礎科学を見守って欲しい」と何度も訴えたことは記憶に新しい。主要11大学でつくる「学術研究懇談会」は2016年、国公立大学の運営交付金と私学助成の削減が10年以上続き「成果目標が明示的である競争的な事業助成金への移行が強まっている」と指摘していた。今回の声明案でも「学術の健全な発展の見地から必要なのは、科学者の自主性・自律性・研究の公開性が尊重される民生分野の研究資金の一層の充実」と訴えている。

 しかし戦前の軍国主義的な国家を目指そうとする安倍自公政権が、どこまで耳を貸すか。安倍内閣は2013年12月「国家安全保障戦略について」「平成26年度以降に係る放映計画の大綱について」「中期防衛力整備計画について」の3つを閣議決定し、デュアルユースを活用することを明記。翌14年6月にまとめた「防衛省防衛生産・技術基盤戦略」で、軍学共同研究の本格推進と企業の武器輸出の本格的な推進を本格化させた。この間、14年4月には「武器輸出3原則」を「防衛装備移転3原則」に言い換える閣議決定も行っている。

学術会議の大西隆会長らが検討委員会の論議の最終盤で、「軍事研究」を「防衛装備技術研究」に改めるよう要求したのも、安倍政権の意向に沿ったものだろう。

 この安倍内閣の方針に従って、防衛省は2015年度から「安全保障技術研究推進制度」を発足させ、研究助成金として15年度は3億円、16年度は6億円、そして17年度は一挙に110億円を計上している。16年度の国防予算約5兆3000億円から見るとわずかな額という人もいるが、1年で16倍もの伸び率を考えると、今後急激に増額される可能性は高い。

 軍学共同研究の「デュアルユース」という言葉は、米ソ冷戦が終わったころから、しきりに語られるようになってきた。一番の成功例として語られるのがインターネットだ。米軍の軍事通信システムが民間に公開されて、今日のIT文化を造ったというものだ。しかし、これは軍事技術を民間に転用することになって「機密」だったものが「公開」され、各国で「自主的」に研究されてきた成果であり、民生用技術が軍事転用された成果ではない。

 もともと軍事技術は高い気密性が求められるはず。軍学共同研究は進めば進むほど気密性の高い「軍事技術」となり特定秘密保護法の対象になる。実際に、内閣調査室は「防衛省が指定すれば、大学は特定秘密の適合事業者になる」と述べている。具体的な研究に当たっても、防衛装備庁の職員がチェックを行うので、どこまで公開が可能なのかは防衛省の判断になり、研究者の「自主・自律」は働かなくなってしまう。

 

▽サイレント科学者はどちらに?

 今回の学術会議の新声明案はこうした状況の下、安倍政権との距離感を測りながらの、かなり妥協した産物となったが、挙手による採決となる総会では採択されるかどうか読めない状態との声が上がっているという。こうした問題に「物言わぬ」サイレント研究者が、実際は多数派らしい。「どこから金が出ようと、何に使われようと、自分たちは研究できればいい」という研究者は、特に若手に多いと伝えられている。

 こうした傾向は今日だけのものではない。1960年中央公論社から出版された(2012年に「こぶし書房」から復刊)「戦後日本の科学運動」という本がある。著者は廣重徹(1928年~1975年)。廣重は著書の「序 なぜ科学運動を問題とするのか」(P13~14)で次のような記述をしていて、1970年代半ば先輩記者から借りて読んでショックを受けたことがあった。長くなるが引用する。

「私はたまたま最近、ある小さな日本科学技術史年表の編集に参加して、1941~50年を担当することになり、戦時下の雑誌や出版物をひっくり返して項目を拾い始めた。その作業の中で痛切に感じたのは、戦時下の科学研究の軍事動員体制が着々と進行してゆくことにたいして、科学者はほとんどなんの抵抗感もおぼえずに、その中に身を投じていったらしいということである。当時もやはり、科学・技術の振興がさかんに叫ばれ、科学者は各方面から引っ張りだこであり、研究費が大量に支出された。そのころとこんにちとは、状況があまりによく似ている。(…)1951年に学術会議が研究者に対して行ったアンケートで、いちばん研究の自由があったのは戦争中であったという答えが第一位をしめ、当時進歩的科学者を憤慨させた。しかるに、こんにち似たような状況が再現されているのに、科学者のがわには、そのことに対する自覚がほとんどみられないのはどうしたことか」(漢字の使い方などは原初の通り)

 同じことを軍学共同反対連絡会共同代表の池内了・名古屋大名誉教授も『武器輸出大国ニッポンでいいのか』(2016年刊)で書いている。

「日本学術会議学問・思想の自由保障委員会が全国の研究者に対して行ったアンケートで、「過去数十年において学問の自由がもっとも実現されていたのはどの時期であったか」という質問項目にたいする回答で、最も数が多かったのが「太平洋戦争中であった」で、これは戦争中には科学の軍事動員のために研究費が比較的潤沢に提供されたことの現れと思われる。科学者は研究費の量と研究の自由を等置させているのである。」(P87)

 2人が指摘したアンケートは同じもので、1949年か50年ごろのものである。戦争直後でありながら、サイレント・マジョリティは「戦争への反省」など行っていなかったと推測されるエピソードだ。集団的自衛権、特定秘密保護法、そして国会に上程された「平成の治安維持法」(小泉純一郎元首相)である新「共謀罪」。安倍政権に率いられた日本が向かう先をどうみるのか。問われているのは科学者・研究者だけではない。科学ジャーナリズムも問われている。             (2017年3月23日)