カテゴリ:原発



24日 11月 2016
 東日本大震災と東電福島第一原発爆発事故から5年8ヶ月が過ぎた。国内では震災と事故に対する「風化」が進んでいるが、依然として約18万人が避難を続けている(今年1月時点)。特に福島第一原発から20キロ圏内では、被災した家屋の撤去もままならない状態だ。そんな中で起きた11月22日の福島沖地震・津波。第一と第二原発には1メートルの津波が襲来、第二では使用済み核燃料プールの冷却設備が一時停止した。1時間あまりで復旧し、政府や東電は問題なかったと主張しているが、今回も異常発生から約1時間たっての発表だった。  電力会社の姿勢に対する不信は根強いが、政府は次々と原発の再稼働を推し進めている。地域住民だけでなく、大都市の国民も容認したままだ。しかし、いったん大事故が起きたらどうなるのか。事故直後、全域が「警戒区域」となった大熊町で町内バス視察事業を行っているNPO法人大熊町ふるさと応援隊の渡部千恵子理事長が当時のことを話してくれた。同じような悲劇を繰り返さないためにも、渡部理事長のような「語り部」の言葉に耳を澄ます必要があるだろう。
23日 11月 2016
 今年11月22日早朝発生した福島県沖地震と津波。震源はいわき沖とあって地震後すぐに近隣の相馬市、南相馬市、双葉郡楢葉町、同広野町、同富岡町に避難指示が出されたが、双葉郡の中で大熊町と双葉町には避難指示は出なかった。ともに事故後6年を経過しても、年間20ミリシーベルトを下回らない恐れのある「帰還困難区域」に指定されており、帰還した住民がいないからだ。東京電力福島第一原発爆発事故の後遺症は、こんなところにもみてとれる。その、原発城下町ともいえる大熊町を見て回るバス視察に参加して、事故後初めて訪れた。 ▽住民がバスツアー立ち上げ  政府は2011年3月11日に発生した東日本大震災と東電福島第一原発事故後、原発から半径20キロ圏内を「警戒区域」に設定。立ち入りを制限するとともに住民に退去を命じ、違反者に10万円以下の罰金または拘留という厳しい制限を加えた。また半径30キロ圏内を「緊急時避難準備区域」とし自主避難および子ども、妊婦等の避難を促した。さらに放射能雲(プルーム)が原子力規制法の想定域を超えて流れていたことから、飯舘村などを「計画的避難区域」に設定し、事実上全員域外へ避難させた。 警戒区域は2013年に見直されて、年間の積算線量が50ミリシーベルト(mSv)の範囲を「帰還困難区域」に変更したが、大熊町は依然として大半が同区域に入っている。隣の双葉町も同様の状態だ。 警戒区域や緊急時避難準備区域住民に対する一時帰宅は2011年6月ころから始まっているが、あくまで自宅への一時帰宅であり、町の様子を見て回ることはできなかった。こうしたことから住民が自分たちでスタディツアーや避難者支援などを行おうとNPO法人大熊町ふるさと応援隊(渡部千恵子理事長)を2014年10月立ち上げ、復興庁助成事業としてバス視察を行ってきた。  基本的に大熊町住民が対象だが、参加者が定員を下回るようになってきたため、町外の住民も受け入れており、参加することができた。今回は17人中私たち6人が大熊町以外の参加で、渡部理事長や市川スミ副理事長らの案内で町内を見て回った。 旧警戒区域への視察は2013年9月、「福島会議」のエキジビションとして実施された、大熊町に隣接する富岡町での「旧警戒区域行ってみっぺツアー」以来となる。ツアーバスは郡山から出発したが、大熊町住民はいわき市や会津若松市、郡山市などに分散して避難している。県外に出ている人も少なくない。今回はいわき方面の住民が多く、大熊町の中で除染が進められた大川原地区にある連絡事務所で合流して、富岡町と大熊町の境にある「高津戸スクリーニング場」に。ここで各自に積算線量計が渡される。「行ってみっぺツアー」で着用した防護服も渡されたが、今回はバス中からだけの視察なので着用せず。 ▽名前を一人ずつチェック バスは国道6号を走って「三角屋」という交差点の東側にある「三角屋東ゲート」に。 ここで参加者全員の人数と名前をチェック。身分証明書となる免許証を見せ、町内を流れる熊川の河口方面に。この熊川の北側と国道6号の海側の部分が政府の指定した「中間貯蔵施設」予定地だ。北の境界は双葉町になる。 熊川小学校から熊川公民館辺りまでは、持参した線量計が1.9~2.2マイクロシーベルト(μSv)を指していた。ただ車内の座席の上で測ったもので、外部の線量ではない。熊川では遡上したサケの死骸が浮かんでいた。数週間前は遡上しているサケの姿が見られたという。付近には津波で半壊したままになっている家屋も散見される。 今年11月22日早朝発生した福島県沖地震と津波。震源はいわき沖とあって地震後すぐに近隣の相馬市、南相馬市、双葉郡楢葉町、同広野町、同富岡町に避難指示が出されたが、双葉郡の中で大熊町と双葉町には避難指示は出なかった。ともに事故後6年を経過しても、年間20ミリシーベルトを下回らない恐れのある「帰還困難区域」に指定されており、帰還した住民がいないからだ。東京電力福島第一原発爆発事故の後遺症は、こんなところにもみてとれる。その、原発城下町ともいえる大熊町を見て回るバス視察に参加して、事故後初めて訪れた。
01日 9月 2016
 東京電力福島第一原発爆発事故後、福島県内だけでなく県外避難した人々による損害賠償訴訟が各地で進められているが、中でも原告数が多いのが「『生業を返せ、地域を返せ』福島原発訴訟」だ。2013年の提訴以来、原告は4000人近くになり一連の原発訴訟で最大となっている。...
25日 8月 2016
 著者は2011年3月の東日本大震災に伴う東電福島第一原発爆発事故の後、現場に復帰して現地取材によるドキュメントを何本か制作、その後「厳重注意」処分を受け現職にある。本書の前半の記述はそのドキュメント絡みの話だが、なぜテレビと原発報道に60年という年代を振ったのか。最初はなぜだろうと思ったが、「正力松太郎」というキーワードで納得がいった。福島原発事故とその後の報道という近視眼的発想で眺めている限り、歴史的関係に気が付かなかっただろう。ともに米国から導入されたシステムであるテレビと原発が、被爆国日本の国民に被害者意識を失わせ、核への盲従を作り上げてきたのではなかったのか。本書はそんな疑いを投げかける。 ▽一瞬だけの「異次元的状況」  読売新聞社主かつ日本テレビの創始者だった正力松太郎は、日本の「テレビの父」であると同時に「原子力の父」といわれている。正力氏にはさらに「米CIAのエージェント」という称号も追加される。テレビ発展の歴史と最大54基もの原発建設とは全く別個に進んできたのではない。「テレビは導入の原点から原子力推進に向け『社会を啓もうする』役割」を担ってきた、と七沢氏は指摘する(139ページ)。  つまり現在の権力追従的報道姿勢は最近になって始まったのではなく、大衆文化の担い手とされるテレビそのものの立場は元々権力側に立ったものであることが、より顕在化したともいえる。  七沢氏によると、それが変わった時期が一瞬だけあったという。2011年3月の福島事故直後、「(それまでの)『大本営発表』から潮目が変わったかのように『実のある』ニュースが流れ出した」。七沢氏によると「異次元的状況」といえるものだったが、間もなく「見事に四散する」(50ページ)。  異次元的状況とみなされながらも、大マスコミは当初から現場に入らず、「直ちに影響はない」的な御用学者の発言を垂れ流ししていた。しかし2011年ごろは、それなりに問題点も指摘していた。しかし「2012年ごろから世論のモードチェンジを図る企画」に移り、2014年暮れ完成域に達したというのが、七沢氏の分析だ。氏自身、2012年4月に「上司を批判して傷つけた」との理由で厳重注意処分を受けている。 ▽脱原発と国民主権つぶしにメディアも一役  2012年は民主党から自民党に政権が移った年である。このころ原子力関係で何があったのか。福島事故直後の2011年7月、当時の菅直人首相は記者会見で脱原発を宣言した。翌12年には民主党政権が「エネルギー・環境に関する選択肢」と題するパブリックコメントを広く国民に求め、9月には「30年代原発ゼロ」を打ち出した。今思い返すと、大半のメディアは民主党政権の方針を「現実的ではない」などと口を揃えて批判していた。モードチェンジを急いだ理由の一つは、民主党政権の「脱原発」だったことが分かる。  この2012年に対して、作家の中島京子さんは今年7月17日付けの毎日新聞朝刊コラム「時代の風」で次のような話を提供している。「今年の参議院選挙期間中、インターネットのSNSで、たいへんな勢いで視聴された映像があった。『創成日本』という超党派の議員団体が2012年5月に開催した研修会を録画したもの」という。そこでは自民党の閣僚経験者が「国民主権、基本的人権の尊重、平和主義をなくす」と叫んでいた。当時の「創成日本」の会長は野党時代の安倍晋三氏だった。2016年の政治状況は2012年に始まっているともいえるものだが、2016年に猛烈な勢いで視聴されていることすら「新聞やテレビで報道されたのをみたことがない」と中島氏は指摘する。中島氏も毎日新聞の7月12日付夕刊に載った作家の平野啓一郎氏のコラムで初めて知ったという。 ▽記憶の半減期と記憶の除染  もともと国民には原発事故にかぎらず「記憶の半減期」があると七沢氏は指摘する。だが異次元的状況からモードチェンジする際、隠ぺいの協力者としてメディアが存在。特にテレビ局の「忖度」によって、記憶は半減期どころか、危険性の「意識化以前」に戻されてしまった、とみている。さらに誤報かどうか疑念の残る朝日新聞の「吉田調書」事件(福島第一原発所長だった吉田昌郎氏の政府事故調査委員会での証言内容スクープ記事に誤報があったというもの)での読売新聞をはじめとする全国紙の執拗な攻撃で、「記憶の半減期はかなり短縮された」。  その視点からみると、現在の報道は事故前のレベルに戻ったものともいえ、本来は許容できないはずの被ばくに「許容線量」を要求したり、「風評被害」を強調して寡黙を強要。あるいは「神風(特攻隊)」に通じる情緒的ナショナリズムによって事故の真相を覆い隠す、等々のことが頻繁に進められ「記憶が除染されている」と述べている。現在「除染」されているのは放射性物質ではなく、事故の記憶、さらには事故の真実であるというのが著者の訴えだ。  「異次元的状況」からの手のひらを返すような「モードチェンジ」、当事者からすると一時期の熱病から覚めただけと言うのかもしれない。しかし報道だけの責任にしていいのだろうか。「テレビは民意が弱まると、無力化するという限界を持っている」と七沢氏は述懐している。記憶を除染されないようにすることが重要と言えそうだ。 (2016年8月24日)
28日 7月 2016
 現在国内で唯一稼働している九州電力川内原発(鹿児島県)の運転一時停止を求めて、同県知事に初当選した三反園訓(みたぞの・さとし)氏が28日就任した。三反園氏は7月10日に参院選と同時に行われた知事選挙で、脱原発派の候補と一本化を図り、現職を破って初当選した。全面的な脱原発の主張ではないが、県民の不安が大きいとして川内原発の一時停止を公約にしてきた。  原子炉等規制法では知事に原発の停止を命ずる法的権限はないが、当選後も各社の取材に答えて、選挙結果という民意を受け、8月中にも九電に申し入れる考えを示している。原発促進を掲げる安倍政権は、沖縄県では参院選挙で示された民意を踏みにじって、県外から多数の機動隊員を送り込んで本島北部の高江でオスプレイパッドの着工を強行したばかりだ。今回も民意を踏みにじるのかどうか。安倍政権の意向を忖度する中央メディアがどう反応するのかも注目される。
27日 7月 2016
「浮き彫りになった疑惑を整理する」  4基ある原子炉のうち3基が水素爆発し、3基で炉心が溶融した東京電力福島第一原発。政...
29日 5月 2016
 オバマ米大統領は5月27日広島を訪問、71年前の原爆投下について謝罪はしなかったものの「核なき世界」の追求をあらためて宣言した。オバマ演説で際立ったのは、犠牲者への言及で「10万人を超える日本の男性、女性、子どもたち」に続いて「多くの朝鮮半島出身者、捕虜となっていた十数人の米国人を含む犠牲者を悼むため広島に来た」と述べたことだろう。日本は政府だけでなく、国民も、強制連行してきた朝鮮人の被ばく者や米兵捕虜に対してほとんど関心を示して来なかった。 ▽「鼻血が出る」と訴え  外国人被爆者に関心を示して来なかったのと似た状況が、東日本大震災と東電福島第一原発事故への救援活動で被ばくした米軍兵士への対応にある。米空母ロナルド・レーガンが2011年3月、福島から三陸沖に出動し、ヘリで被災地への救援物資輸送や、海上での救難活動をした。陸域での救援活動を含めた米軍の「トモダチ作戦」である。  その時に被ばくして体に変調を来したとする元兵士たちが東電などを訴える訴訟を起こしたという話は、日本でも簡単に報じられていた。しかし、ほとんど関心を呼んでいなかった。それを一挙にひっくり返したのが小泉純一郎元首相だ。  小泉氏は5月26日、東京の朝日ホールで「日本の進むべき道」と題して講演し、5月中旬米国に行って被ばくを訴える元兵士らと直接会って話を聞いたことを披露した。小泉氏は元兵士らと会った後、現地で記者会見したが、日本のマスコミだけでなくCBSやFOXなどの米国のテレビ局も取材し報道したという。  小泉氏によると、被ばくを訴えている元兵士らは「鼻血が出る」「膝が痛くて動けない」などの症状を訴え、身体の不調のため軍隊から除隊せざるを得なくなった状況などを説明。「トモダチ作戦」の期間、艦内のガイガーカウンターは鳴り放しで、兵士たちがスマホなどで撮影したガイガーカウンターの音や「放射能だ」などと叫ぶ声が入った動画も見せられたという。しかし放射能に関する情報はなく、誰も防護服を着なかった。米空母は海水を真水化してシャワーに使うだけでなく、飲料水や料理に使っており、「外部被ばくだけでなく、内部被ばくの双方の被ばくをしている」と小泉氏は推測している。  兵士たちの訴えに対して、米軍病院の医師たちは「原因不明」として放射能汚染による健康被害を認めず、除隊を余儀なくされた元兵士たちは高い医療費が払えないため病院にも通えてない。元兵士たちの訴訟は8人の原告から始まったが、5月26日には原告が400人を超した。トモダチ作戦には2万人を超す米軍兵士が動員された。さらに原告が増えると予想される。原告側の弁護士によると、既に7人が白血病で死亡している。  ロナルド・レーガンが被ばくしたのは2011年3月14日から15日にかけて起きた原発水素事故の放射能プルーム(雲)が福島から三陸沖に流れたためだろう。京大原子炉実験所の今中哲二・前助教によると、一連の福島原発事故で飛び散った放射能は陸域に流れたのが2割程度、残る8割は海域に流れた。事故後、何人もの専門家が「海域に(放射能が)流れて、不幸中の幸いだった」というような発言をしていたが、ロナルド・レーガンとそこで活動した兵士たちにとってはまさに不幸だったわけだ。 ▽国内にも少なくない被ばく被害者  このことは対岸の火事では決してない。今中・前助教は2011年3月末、福島県飯舘村で放射能を測定したが、そのデータを分析すると3月15日当時は1時間あたり150~200マイクロシーベルトという、とんでもない放射線が降り注いでいたことになる。2週間で50ミリシーベルトを超す(一般人の年間被ばく限度は1ミリシーベルト)。にもかかわらず、飯舘村では当時、原子力や放射線の専門家たちが現地で「安全」を宣伝していた。飯舘村全村避難の直前のことだ。  飯舘村の高濃度汚染は事故から2週間ほど経って明らかになったが、宮城県から北関東の茨城、栃木県などにかけて汚染度の高い地域が点在する。しかし事故当時、同心円での避難ばかり強調され、こうした地域に目が向けられなかった結果、放射能への警戒もなく雨の中を歩いていた人は少なくないはずだ。  福島県内で小児甲状腺がん患者が急増していることに対し、福島県や福島県立医大などの「専門家」は原因不明として、放射能との関係を否定しているが、ロナルド・レーガン元兵士たちの裁判はそうした「原因不明」を打ち破る可能性がある。  日本国内の被ばくについて、今中・前助教は「福島県内だけでなく、放射能が降った地域、さらには日本全国の調査を行うべきだ」と主張している。すでに東北各地で焼却処理したゴミや牧草から限度値を超える放射能が検出されている。国や行政の影響下にある日本医師会や大学の医療機関では検査は不可能かもしれないが、専門知識を持ち、良識のある民間の医師たちが何とか立ち上がることはできないのだろうか。 (2016/05/29)
21日 4月 2016
 震度7の地震が同じ場所で3日を開けずに起きたという今回の熊本地震。気象庁の地震予知調査課長が「今までの経験則を外れている」と述懐するように、地震の起こり方が変わってきている。現在のところ熊本と大分両県が中心だが、九州から四国、本州を縦断し糸魚川-静岡構造線(フォッサマグナ)にぶつかる中央構造線の地溝帯に沿って群発していることは間違いなさそうとの見方が高まってきた。単なる一部地域の活断層が横ズレを起こした地震ではないという認識だ。  一連の地震活動がいつ収束するかというよりも、どこまで大きな地震が発展するかが地震専門家の間でも議論となっており、活発な動きをしている熊本県内の2つの活断層帯、布田川断層帯と日奈久断層帯という2つの活断層の南西部にひずみがたまっているとの見方が強まっている。実際にどこが震央となるか不明だが、現在唯一稼働している九州電力川内原発は二つの断層帯の南側にあり、すぐ近くで大きな地震が発生する恐れがある。 ▽10万人以上が停止求めネット署名  このため川内原発の動きに国民の関心は高く、一連の地震活動が休止するまで稼働を停止するよう求める声が大きくなっている。原発停止を求めるネット署名は4日間で10万人を超え、取りあえず21日に安倍晋三首相に提出するという。しかし安倍首相と政府はあくまで運転を続ける構えで、19日には2011年3月の東日本大震災で東電福島第一原発事故に対処し、その後中電浜岡原発に稼働停止を求めた菅直人元首相が川内原発稼働停止を求めて国会で質問したが、担当の丸川珠代環境相兼原子力防災担当相はあらためて止める気がないことを表明した。    その背景には、次々と原発再稼働を打ち出す原子力規制委員会の動きがある。日本中が熊本地震の動きを注視している最中、規制委は四国電力伊方原発の再稼働を認めた。伊方原発は中央構造線上にある原発である。関電高浜原発1、2号機も再稼働を認めた。原子力規制委員会のメンバーがまっとうな科学者なら、こんな先が見えない状況の中で次々と再稼働を認可することなどあり得ないと思うが。  しかし田中俊一原子力規制委員長は18日の記者会見で「科学」という言葉を使って川内原発の運転継続を承認していた。その時の田中委員長の発言は、川内原発再稼働の審査で布田川、日奈久両断層帯の地震を含めた「不確実性があることを踏まえて評価しており、想定外の事故が起こるとは判断していない」というものだった。その上で「今のところ(原発を止める)科学的根拠はない」と断言している。 ▽最悪シナリオの重要性  驚くべきものだ。田中委員長は原子力では専門家かもしれないが、地震や火山噴火の専門家ではないはずだ。気象庁の地震予知調査課長が「経験則を外れている」と言い、少なからぬ専門家が2つの断層帯の端で大きな地震が起こる恐れがあるとしているのに、規制委では「不確実性」として既に評価していたというのだろうか。きちんとした「科学的評価」があるのなら、居住している住民に公表して避難対策に役立ててもらうように図るべきではないのか。  田中委員長の口から飛び出した「想定外」。何かというと出てくる「防災」という言葉とセットのようになって使われている。自然災害を防ぐことができるという驕りのような「防災」。防げなかった場合は、いつも「想定外」となる。だから「防災」という言葉を止め「減災」「縮災」という言葉を使うべきだと言っている専門家もいる。中央防災会議地震・津波対策に関する専門調査会座長の河田恵昭・関西大学社会安全学部教授だ。河田教授は「災害の外力である気象、海象、地象などのハザードが変化している」として、地震も起こり方が変わると考える必要があると強調。大災害が起こることを前提とした減災・縮災を考えるべきだと主張している。このためには「最悪シナリオ」を考えることが重要で、最悪シナリオを想定して対処すれば「想定外」はなくなる。  川内原発にここまで注意を払って「最悪シナリオ」を想定しなければならないのは、この原発は安倍首相が言うような「世界一厳しい審査をパス」したのと裏腹に、再稼働当初からトラブルに見舞われていたためだ。すでに大半の人は忘れているが、昨年8月再稼働した直後、発電タービンを回した後の蒸気を冷却して水に戻す復水器でトラブルが発生。冷却用配管に穴が開いて、循環している水が漏出した。再稼働前には、最も重要な装置の一つである蒸気発生器でトラブルもあった。一つ一つのトラブル内容は異なっているが、背景には原発の老朽化がある。 ▽大地震時の指令所なし  その上、規制委の審査では建設することになっていた免震重要棟について、九電は再稼働後、言を覆して建設しないと表明。規制委との協議の中で今年3月25日、免震棟は造らず重大事故時の耐震支援棟を建設して緊急時対策所に代替すると正式発表したばかりだ。免震重要棟は東電福島第一原発事故で「これがなかったら(事故収束は)どうなっていたか」というほど重要な役割を果たしたのだが、九電は無視したまま押し切ってしまった。規制委は耐震施設に一定の評価をしたというが、今後の審査の対象になった。つまり現時点では、福島原発事故のような巨大な地震に見舞われたら、安全に対応でき、作業員も休憩できるような施設は川内原発にないのだ。  東電福島第一原発事故では、津波に見舞われる前に、地震でかなり破損したとの疑いが消えない。東電が全データを明らかにしていないため不明な点が多いが、東電も津波による全電源喪失の時間では計算できないほど早くからメルトダウンしていたことは認めている。川内原発でも震度7クラスの激震に見舞われたら、無数に張り巡らされている配管などは多数破損するだろう。免震構造物がないので、発電所全体を指揮する指令塔も壊れて使い物にならない恐れがある。  田中委員長がどういうものを「想定外の事故」としているのか分からないが、少なくともフクシマを経た現在、発電所の爆発は想定外とは言えない。「まさか、九州で大地震は起こるまい」などと思って作った「科学的根拠」など、現実の前には根拠を失う。大地震では安全に停止することをうたい文句にしてきた新幹線も脱線してしまった。想定外ばかり出てくる「科学」は、世界のサイエンスとは全く別物とされてしまうだろう。 2016年4月20日  
15日 3月 2016
①福島県県民健康調査による小児甲状腺がん発症状況 ②津田敏秀岡山大教授によるベラルーシでの小児甲状腺がん発症状況
30日 1月 2016
(1)次長はいつ死んだのか? 「監察医の診断より3時間早く死んでいた」  1月25日午後、東京地裁で、動燃(動力炉・核燃料開発事業団=現・日本原子力研究開発機構)の総務部次長だった故西村成生(しげお)さんの妻、西村トシ子さんが東京都と警視庁中央警察署長を相手に起こした「遺品引渡請求訴訟」の第4回口頭弁論が開かれた。...

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