福島原発事故の国の責任より明確に

かながわ訴訟で横浜地裁が「原告勝訴」の判決

 

  2011年3月11日の東日本大震災後に発生した東京電力福島第一原発爆発事故で故郷を逃れて神奈川県内に避難した被災者175人が提訴した福島原発事故かながわ訴訟の判決が2月20日午前、横浜地裁であり、中平健裁判長は国と東電の法的責任を認め、原告のうち152人に総額4億2000万円弱の賠償を命じた。

 福島原発事故で被災した住民らが訴えた損害賠償請求裁判は全国30の地裁や高裁で争われているが、東電とともに国を訴えた裁判の判決はこれで5番目。千葉地裁を除いて4裁判所で国の責任を認めており、下級審では定着したといえる。

 その中で横浜地裁判決の意義は、国の責任を他の裁判所以上に具体的に認定するともに、被害の賠償にあたっては自主避難者も救済の対象にしたことだろう。国は何が何でも勝つという姿勢で裁判に臨んでいるだけに、判決の意味は大きい。

 

▽津波襲来の可能性を認識

 国に福島第一原発事故の法的責任があるのかどうかは、巨大地震・津波によって発電所が水浸しになり、全交流電源を喪失して炉心冷却系統の全機能が喪失、原子炉のメルトダウンなどの重大な事故になることを認識していたか。それは発電所建設以来講じてきた対策では対応できないと予見できたか。想定地震・津波の研究が進んでいる中で、福島原発で対策が進められたか。進められたとして、国全体の研究成果を活かすことができたかという予見可能性がまず問題になる。

さらに新たな対策が必要となったときに、具体的な対策が行われたか。監督官庁である国は事業主体である東電に想定されるような破局を防ぐための対策をなぜ命じなかったのかという結果回避義務違反が問われることになる。

なぜ、巨大地震・津波への備えが必要かという点は明白だ。国の地震本部地震調査委員会は2002年(平成14)、「長期評価」を公表。この中で、三陸沖北部から房総沖の海溝寄りの領域内のどこかで巨大地震・津波が発生する恐れが高く、「発生確率は今後(2002年から)30年以内20%、50年以内は30%程度」と説明していた。地震学的にはこの数字は極めて高く、事態は切迫していた。

このため原子力安全・保安院(当時)は2006年(平成18)「溢水勉強会」を

立ち上げた。その中で、国は福島第一原発5号機(今回は破局を免れた)で敷

地レベルを超える津波が襲来したときには非常用電源設備の安全性が確保でき

なくなる可能性を認識していた、と判決はいう。

福島原発の敷地に海水が襲来しないための基準波高は建設時から変わらずOP(小名浜港工事基準面)+3.122㍍だったが、東電が作成した想定津波の波高は上昇し続け、2002年(平成14)には+5.7㍍に基準を上げ、非常用ディーゼル発電機冷却系海水ポンプをかさ上げした。

しかし、その後貞観地震などの過去の巨大地震・津波に対する研究が進み、保安院は2009年(平成21)東電に貞観地震津波などを踏まえた津波評価についてデータを求め、東電は同年9月「福島第一原発で最大OP+8.9㍍の試算結果となった」と保安院に報告(平成21年報告)。

▽実態に合わぬ津波評価技術

判決は「津波評価技術を基に試算した数値(+5.7㍍)を3㍍以上も上回り、かさ上げしたばかりの非常用海水ポンプの設置位置も超えるもので、津波美いうか技術に従って実施されていた措置の安全性が、わずか6年後に覆される問い事態」と当初の甘さを指摘、「想定津波に対する事実上の裕度は実質的に喪失」と指弾している。つまり国や東電が依拠する「津波評価技術」というものが実態に即していなかったことを示していた。判決は一方で、溢水勉強会で検討していた「津波溢水アクシデントマネジメント策」の策定は何ら進んでいなかったとし、敷地高を超える津波が到来すれ

ば原子炉安全停止に関わる設備が機能喪失という切迫した状態にあったとし、発電所の敷地を超えてくる津波の襲来を予見する義務があり、予見は可能だったと結論づけた。つまり福島原発事故は国や東電が主張するような「想定外」の出来事では決してなく、予想できていたし、予見していたということだ。

 

▽非常用電源を移設していたら

 では予見できていたとして、破局的な事故を防ぐことができなかったのか。つまり何らかの対策を取ることによって「事故の結果回避措置」は可能だったのか。

 これについて判決は、「原告は結果回避措置として①防潮堤の設置②主要設備の被水・浸水防止措置(水密化)③電源設備の移設–を主張しているが、(事態の切迫化などから)対策は実現可能なものに限られる」とし、③の電源設備(とりわけ直流電源設備)の移設は可能であったし、遅くとも2010年(平成22)末までには実現可能であったと判断している。

 そして結果回避措置を取っていれば①1号機の冷却を継続することで水素爆発を回避できた②3号機も1号機の水素爆発まで代替注水手段の確保や電源復旧作業が早まっており、代替注水ができれば水素爆発を回避できた③代替注水ラインが完成していた2号機も炉心損傷を最小限に抑えることができたとし、大

量の放射性物質の外部放出という事態の回避は可能だったと指摘した。

 こうした予見可能性と結果回避措置は、特に事業者である東電では直接賠償責任が問われるものだが、監督官庁としての国の責任は問われるのか。これに対して判決は、電源設備の移設について経産相は電気事業法40条に基づいて、東電に技術基準適合命令を発令することができたと認定する。その上で、そう

した規制権限を行使することができたのに、行使しなかったことが国家賠償法1条1項の適用上違法となるかについて「極めて緊迫・切迫した状況であったにもかかわらず、具体的な安全対策を取らないとした」もので、看過しがたい過誤、欠落があったとし、規制権限の不行使は許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くものと断罪した。

▽取りあえずの電源車も拒否

 こうした予見可能性と結果回避措置義務違反を指弾する判決を読むにつけ、毎日新聞の藤原章生氏が著した『湯川博士、原爆投下を知っていたのですか』(2015年刊)の主役である故森一久・元日本原子力産業会議副会長の逸話を思い出さざるを得ない。

 藤原氏が日本原子力発電の元取締役、岩越米助氏から聞いた話によると、森氏は2002年ころから原発の全電源停止について熱心に調べだしたという。「長期評価」が出たころだ。東電は当面の策としてか、海水ポンプをかさ上げしたが、森氏は東電に対して「取りあえずの一策として電源車の配備を東電の幹部に提案した」という。

 同書を引用すると、岩越氏は「森さんと私の二人で、東電の原子力担当の取り締まりを訪ね『本店(東京)だけでなく、各原発に3台ずつ電源車を配備した方がいい』と説得したんです。すると向こうは『森さん、いくら掛かるか分かっているんですか。そんな話をあちこちでいわないでくださいよ』と言われ

、全然相手にされなかったんです」(同書188ページ)とのことだった。

 いつのころか同書では記載していないが、2002年からそう時間が経っていなかったころだろう。既に森氏は原産会議を辞めていたから、東電の原子力担当役員は相手にしなかったのか。それにしても、そう大変でもない対策を「取りあえず」でも講じていたら、10万人を超す被災者が長期にわたって苦しむことはなかった。事故は「想定外」ではなく、市民は「100%の安全性」を要求し

ているわけでもない。(2011年3月11日)