津波で家族を失った被害者を長編ドキュメンタリーに

浜松在住の映像作家が今夏完成へ 原発爆発で探せなかった命

 2011年の東日本大震災発生以来、毎月のように福島県南相馬市や双葉郡の町村を訪れ、被災者と被災地をビデオカメラに収めてきた浜松市在住の映像作家・笠井千晶さんが、震災5年を機に、撮りためた映像を1本の長編ドキュメンタリーにまとめる「完成プレトークイベント」がこのほど名古屋市で開かれた。

 

 笠井さんは震災後、特に地震・津波に加えて東京電力福島第一原発事故で被災と被害という二重の苦難に遭っている人たちにカメラを向け、その思いを上映会などで伝えてきた。現在製作中の長編ドキュメンタリーでは、南相馬市で捜索などを行っている「福興浜団」を主催する上野敬幸さんと、福島県大熊町で被災し現在は長野県白馬村に移転した木村紀夫さんに焦点を当てる。

 

▽原発爆発で探せなかった家族

 2人に共通するのは、津波に大切な家族を奪われたということだ。単に津波で家族を失ったというだけではない。ともに原発の水素爆発で居住地が原発から半径20キロ圏内の「警戒区域」に指定され、捜索活動が一切中止されて家族を探すことさえできないという状況に追い込まれたことも共通する。

 

 上野さんは震災前まで太平洋沿岸から1キロほど中に入った南相馬市萱浜という地区で両親、妻、2人の子どもと生活していたが、両親と子ども2人の4人を津波で亡くした。母親と長女・永吏可(えりか)ちゃん=当時8歳は=原発爆発の直前に見つかったが、父親と長男・倖太郎ちゃん=当時3歳=は行方不明のままだ。

 

 一方の木村さん。福島第一原発からわずか3キロの沿岸部に住んでいて津波に遭った。父親、妻の深雪さん=当時37歳=、次女・汐凪(ゆうな)ちゃん=当時7歳=が亡くなった。やはり汐凪ちゃんは行方不明のままで、木村さんは長女と2人、白馬村で暮らしながら毎月のように汐凪ちゃんを探しに大熊町に帰っている。

 

 津波から数日間の状況について、イベントにゲスト出演した上野さんは次のように話す。「津波が押し寄せた最初のころは、警察や消防など、たくさんの人が捜索にあたってくれた。しかし314日の福島第一3号機爆発以降、沿岸から人がいなくなった。津波から1周間は1人で捜索した。その後、若い消防団員が10人ぐらい来て捜索に参加。当時、自分たちだけで40体ぐらいの遺体を見つけ、遺族に報告した。420日ぐらいから、ようやく自衛隊も捜索に来た。この間について、映像だけで想像してというのは難しい。とにかく自分たち以外に全く人がいなかった」。

 

 木村さんの場合はさらに深刻だ。自宅があった場所は福島第一原発からわずか3キロ。爆発事故で全員が避難。汐凪ちゃんの行方が分からないまま、しばらくは帰還もできなかった。ようやく防護服を着て捜索を始めたが、行方不明者は汐凪ちゃんだけだったので、専ら1人で行わざるをえなかった。窮状を聞きつけた上野さんら福興浜団メンバーが捜索活動に参加、住居跡周辺で遺品などを見つけることができたが、遺体は見つかっていない。被災した小学校にある汐凪ちゃんの遺品。当初は被ばくしているため区域外への持ち出しは禁止されていたが、現在は線量を測定して一定レベル以下だったら持ち出せるという。しかし全く馴染みのない白馬村よりも、友達と過ごした小学校に置いておくとのことだ。

 

▽福興浜団で活動

 上野さんは市の勧告を無視して、津波で半壊となった元の住居の脇に新居を建てて、妻の貴保さん、震災後生まれた次女の倖吏生(さりい)ちゃん(4つ)と3人で暮らしている。倖吏生のうちの2字は姉と兄からもらった。毎週土、日には1015人ほどが集まって活動する福興浜団の拠点ともなっている。

 

 この福興浜団。私たちも折りにふれ参加しているが、会則があるでなし、メンバーも固定せず、じつに融通無碍な集まりとなっている。土、日の午前9時、道の駅南相馬に勝手に集合。フェイスブックで予定した作業中心に行う。毎週金曜日の夜、静岡県を車で出て、土曜日の夜は車中泊し、日曜の夕方帰るというコアなメンバーがいる一方で、話を聞きつけて初めて参加するというグループも毎回のように登場する。

 

 笠井さんも福興浜団の活動をメーンに撮影している。震災当初は名古屋のテレビ局に勤務。新幹線を乗り継いで仙台まで行き、仙台からレンタカーで南下。1人でビデオカメラを構えて撮影しながら取材して名古屋に帰るという日々だったという。その後テレビ局を辞め、映像作家として活動している。昨年、クラウドファウンディングで約250万円の取材費を集め、長編ドキュメンタリー制作にこぎつけた。

 

 撮影の最後は、上野宅前の畑に広がる菜の花畑という。半壊していた旧家屋は市の指示で解体されたが、一面に広がる菜の花を撮影した後編集に入り、夏までには完成させるとのこと。タイトルは「LIFE」になるそうだ。

 

2016325日) 2011年の東日本大震災発生以来、毎月のように福島県南相馬市や双葉郡の町村を訪れ、被災者と被災地をビデオカメラに収めてきた浜松市在住の映像作家・笠井千晶さんが、震災5年を機に、撮りためた映像を1本の長編ドキュメンタリーにまとめる「完成プレトークイベント」がこのほど名古屋市で開かれた。

 

 

 

 笠井さんは震災後、特に地震・津波に加えて東京電力福島第一原発事故で被災と被害という二重の苦難に遭っている人たちにカメラを向け、その思いを上映会などで伝えてきた。現在製作中の長編ドキュメンタリーでは、南相馬市で捜索などを行っている「福興浜団」を主催する上野敬幸さんと、福島県大熊町で被災し現在は長野県白馬村に移転した木村紀夫さんに焦点を当てる。

 

 

 

 

▽原発爆発で探せなかった家族

 2人に共通するのは、津波に大切な家族を奪われたということだ。単に津波で家族を失ったというだけではない。ともに原発の水素爆発で居住地が原発から半径20キロ圏内の「警戒区域」に指定され、捜索活動が一切中止されて家族を探すことさえできないという状況に追い込まれたことも共通する。

 

 上野さんは震災前まで太平洋沿岸から1キロほど中に入った南相馬市萱浜という地区で両親、妻、2人の子どもと生活していたが、両親と子ども2人の4人を津波で亡くした。母親と長女・永吏可(えりか)ちゃん=当時8歳は=原発爆発の直前に見つかったが、父親と長男・倖太郎ちゃん=当時3歳=は行方不明のままだ。

 

 一方の木村さん。福島第一原発からわずか3キロの沿岸部に住んでいて津波に遭った。父親、妻の深雪さん=当時37歳=、次女・汐凪(ゆうな)ちゃん=当時7歳=が亡くなった。やはり汐凪ちゃんは行方不明のままで、木村さんは長女と2人、白馬村で暮らしながら毎月のように汐凪ちゃんを探しに大熊町に帰っている。

 

 津波から数日間の状況について、イベントにゲスト出演した上野さんは次のように話す。「津波が押し寄せた最初のころは、警察や消防など、たくさんの人が捜索にあたってくれた。しかし314日の福島第一3号機爆発以降、沿岸から人がいなくなった。津波から1周間は1人で捜索した。その後、若い消防団員が10人ぐらい来て捜索に参加。当時、自分たちだけで40体ぐらいの遺体を見つけ、遺族に報告した。420日ぐらいから、ようやく自衛隊も捜索に来た。この間について、映像だけで想像してというのは難しい。とにかく自分たち以外に全く人がいなかった」。

 

 

▽福興浜団で活動

 上野さんは市の勧告を無視して、津波で半壊となった元の住居の脇に新居を建てて、妻の貴保さん、震災後生まれた次女の倖吏生(さりい)ちゃん(4つ)と3人で暮らしている。倖吏生のうちの2字は姉と兄からもらった。毎週土、日には1015人ほどが集まって活動する福興浜団の拠点ともなっている。

 

 この福興浜団。私たちも折りにふれ参加しているが、会則があるでなし、メンバーも固定せず、じつに融通無碍な集まりとなっている。土、日の午前9時、道の駅南相馬に勝手に集合。フェイスブックで予定した作業中心に行う。毎週金曜日の夜、静岡県を車で出て、土曜日の夜は車中泊し、日曜の夕方帰るというコアなメンバーがいる一方で、話を聞きつけて初めて参加するというグループも毎回のように登場する。

 

 笠井さんも福興浜団の活動をメーンに撮影している。震災当初は名古屋のテレビ局に勤務。新幹線を乗り継いで仙台まで行き、仙台からレンタカーで南下。1人でビデオカメラを構えて撮影しながら取材して名古屋に帰るという日々だったという。その後テレビ局を辞め、映像作家として活動している。昨年、クラウドファウンディングで約250万円の取材費を集め、長編ドキュメンタリー制作にこぎつけた。

 

 撮影の最後は、上野宅前の畑に広がる菜の花畑という。半壊していた旧家屋は市の指示で解体されたが、一面に広がる菜の花を撮影した後編集に入り、夏までには完成させるとのこと。タイトルは「LIFE」になるそうだ。

 

2016325日)▽福興浜団で活動

 上野さんは市の勧告を無視して、津波で半壊となった元の住居の脇に新居を建てて、妻の貴保さん、震災後生まれた次女の倖吏生(さりい)ちゃん(4つ)と3人で暮らしている。倖吏生のうちの2字は姉と兄からもらった。毎週土、日には1015人ほどが集まって活動する福興浜団の拠点ともなっている。

 

 この福興浜団。私たちも折りにふれ参加しているが、会則があるでなし、メンバーも固定せず、じつに融通無碍な集まりとなっている。土、日の午前9時、道の駅南相馬に勝手に集合。フェイスブックで予定した作業中心に行う。毎週金曜日の夜、静岡県を車で出て、土曜日の夜は車中泊し、日曜の夕方帰るというコアなメンバーがいる一方で、話を聞きつけて初めて参加するというグループも毎回のように登場する。

 

2016325日)