「埋もれた歴史遺産を訪ねて」                太平洋岸で唯一あった静岡の相良油田

未来を探る、世界唯一の特殊な菌

 

 100%近く輸入に頼っている日本の石油事情だが、数%は国内で採油されている。そのほとんどは新潟県と秋田県に集中、今では両県内のいくつかの油田でしか採れない。しかし、かつては国内に分かっているだけで35もの油田があった。これらの油田は北海道を除くと日本海側に立地しているが、唯一太平洋岸に面した油田があった。静岡県牧之原市の「相良油田」だ。

 

 相良油田は1955年(昭和30年)採油事業に幕を下ろしたが、経済産業省の近代化産業遺産に認定された跡地に「相良油田の里公園」ができ、油田資料館やバーベキュー広場などがある。訪れた日はお盆休みだというのに、他に誰もいなかった。すっかり歴史に埋もれてしまった感があるが、採油された石油からは特殊な菌が見つかった。応用できれば再び脚光を浴びる可能性もある。

▽日本でも最も古い油田

 資料等によると、石油が発見されたのは1872年(明治5年)。旧徳川幕臣の村上正局(まさちか)が海老江地区(現在の牧之原市大江)で「べとべとして臭い水が湧き出る」との話を聞き、それを勝海舟の招きで来日して静岡学問所にいたエドワード・ワーレン・クラークに分析を依頼。原油であることを突き止めた。

 すると、これを知った「日本の石油発掘の先駆者」石坂周造(新撰組残党の一人)は東京石油会社相良支社を設置、翌1873年(明治6年)手掘りで採掘を始めた、という。ちなみに石坂周造は幕末の剣豪であった山岡鉄舟の義弟。江戸時代から石油が湧き出ていたという新潟県の新津油田が本格的に採掘されたのが1874年(明治7年)だったので、相良油田は日本で最も古い油田といえる。

 資料館の展示を見て驚いた記述も。経緯は不明だが、石油採油事業は「島津候の手に渡り、海江田信義が1879年(明治12年)まで経営した」とある。海江田信義は1862年(文久2年)起きた「生麦事件」の主役の一人だ。生麦事件は薩摩藩主島津茂久の父、久光の一行が幕府への圧力のため上京。700人の軍勢を引き連れて京都に戻る途中、現在の横浜市鶴見区生麦付近の東海道上で起きた。

 川崎大師に遊びに向かう途中、久光一行の大名行列に騎馬で乗り入れたチャールズ・リチャードソンら4人が島津藩士らに切り付けられ、3人は逃げたが、リチャードソンが斬殺された。その時「介錯のつもりでとどめをさした」のが海江田信義とされる。薩摩藩はその後「薩英戦争」の結果イギリスと和解したが、イギリス側が求めた下手人の引き渡しについては「逃亡中」を理由に応じていなかった。

 ここまでは生麦事件の記録などに出てくるが、明治への移行期に元老院議官にまでなった海江田がさらに鹿児島からも東京からも離れた相良の地で、新興油田の経営に携わっていたことを聞くと、どんな思いだったのか想像してみたくなる。海江田が経営していた最中の1878年(明治11年)には当時の大蔵卿(大蔵大臣)だった大隈重信も視察に訪れたという。

 

 

▽一時は全国の1割生産

 相良油田から採油される石油は極めて良質で、重油分が少なくガソリンや灯油成分を多く含んでいた。このため汲み上げた原油を簡単にろ過するだけで、そのまま車や発動機を動かすことができ、大規模な精製工場が必要なかった。

 相良油田では当初から手掘りと並行して機械掘りに挑戦。米国製の綱掘り機も導入された。手掘り井戸の深さは100180メートルだったのに対し、機械掘りは300メートル以上深く採掘することができたが、精度の点でなかなか浸透せず、当初は手掘り中心だった。

 手掘り中心の1884年(明治17年)ごろが採油のピークで、手掘り坑数は240。年間の油出量は721.6キロリットル(約4000石、ドラム缶約3600本)で全国の産油高の約1割に達した。産出額4万円。油田従事者約600人という、地域では一大産業だった。

 明治末期になって日本石油が機械式の綱掘り機による採掘に進出。平均深度330メートル、最深約1000メートルの井戸6坑で採油したが、昭和に入って急速に採油量が減り、1955年最終的に閉鎖された。現在は1950年(昭和25年)に掘られた機械掘削機(深さ310メートル)だけが県指定文化財として保存され、年に一度の「油田祭り」のイベントで採油を行っている。

 興味深いのは手掘りの時代、深度100メートルの暗闇で灯りをともすことができないので、手掘り井戸小屋の天井に大きな鏡を取り付け、太陽光を反射させて井戸の底まで届くよう工夫。また地中深くまで空気を送るため足踏み式のふいごである「たたら」を踏んで空気を送っていたという。

 

▽特異な石油分解菌

 既に閉鎖され、産業としては終焉した相良油田だが、その成分分析から人工的に石油を生み出せる可能性が出ている。

 京都大学大学院工学研究科合成・生物化学専攻の今中忠行教授(現・名誉教授)らは1993年に相良油田から採取した石油分解菌から特殊な能力を発見した。石油分解菌(アルカン生産・分解菌)「HD1」を「無酸素実験装置」で培養実験したところ「HD-1」の細胞内に含まれる複数の顆粒から原油を見つけた。HD-1は、通常の状態では石油を分解する能力を持ちながら、石油も酸素もない環境下では、逆に細胞内に原油を作り出す特殊な能力を持っているという。「HD-1」は世界中の油田のうち、相良油田からしか発見されていない。今中教授は2002年、新属新種として「オレオモナス・サガラネンシス」と命名した。二酸化炭素を唯一の栄養源として石油を作る能力があると考えている。

 大阪大学の森川正章教授の研究室も相良油田の細菌を研究。相良油田の原油の主成分は中鎖アルカンで中近東の原油(多環式炭化水素類、アスファルテン、レジンを多く含む)とは大きく異なるという。HD-1は独立栄養的に生育可能で、その細胞内に14Cアルカンを生産することを確認した。

 「酸素のない環境下で二酸化炭素を栄養源として原油を作る」菌をさらに研究すれば、相良油田の石油のように簡単にろ過するだけで車を走らせられるような、高純度で重油成分の少ない石油を人工的に作り出す可能性もある。埋もれたような産業遺産が、未来に光を与えてくれるかもしれない。

2017821日)