啄木鳥no.21                                                     日本人が知るべき「戦争のリアル」                   ベトナムに残る「韓国軍憎悪碑」から考える

「韓国軍憎悪碑」というものが、ベトナム戦争の激戦地だった村落に点在しているという衝撃的な事実を、元ベトナム戦争参戦韓国軍兵士から初めて聞いた。「韓国軍の罪を何代にもわたって記憶する」と書かれているという。

 ベトナム戦争末期、多数の韓国軍兵士がベトナム戦争にかり出されたという事実は、ベトナム戦争当時から有名だった。しかし、ベトナムにおける韓国軍の実態は、日本ではほとんど知らされていない。特に、多数の民間人を虐殺したという事実は。

 韓国でも兵士による民間人虐殺は長く隠蔽され、1999年9月の週刊誌「ハンギョレ21」のスクープで初めて明るみに出たという。

 韓国軍がベトナム戦争に「参戦」したのは1965年から1973年の米軍撤収までの8年6カ月。32万人が派兵され、戦死者は5000人。負傷者1万人。枯れ葉剤の後遺症と明確にされているのは5万人、後遺症が疑われる後遺疑症は9万人に達している。派兵兵士の半数が何らかの障害に悩んでいることになる。なおかつ、この数字にはPTSDは含まれていないという。

 一方「ベトコン」5万人を射殺したとしてきたが、今日その内の9000人は民間人虐殺と推計されている。その中でも、ベトナム人の憎悪の的となっているのが婦女子に対するレイプと殺害だ。集団でレイプした後、米軍支給の機雷で女性を吹き飛ばし証拠を隠滅した例が多数あったという。単なる「参戦」では済まされない戦争の現実が「憎悪碑」となって何代も伝えられることになる。

 この事実は今年5月、早稲田大学で開かれた「僕たちにしのび寄る戦場。20代の若者が見た戦争のリアル~どう考える集団的自衛権~」(主催:一般社団法人NPJ、日韓法律家協会など)で講演した柳泰春(リュ・ジンチュン)慶北大学校名誉教授と韓洪九(ハン・ホング)聖公会大学教授が明らかにした。

 ベトナム戦争の年表を振り返ると、1965年という年は米国が「トンキン湾事件」(1964年)なるものをでっち上げ、北爆を開始した年だ。同時に米海兵隊員3500人が初めてダナンに上陸、米兵が地上戦の主役となった。

 韓国軍による民間人虐殺が集中したのは、参戦直後の1966年から68年にかけて。中部のビンホア村には1966年11月に1004人が虐殺されたという壁画が残されているらしいが、その他の地でも似たような虐殺の壁画が残っているという。

 日本では、朝鮮はむしろ侵略される側としての認識の方が強い。古くは中国の歴代国家や豊臣秀吉の侵攻など。近世に入っても日韓併合以降、被支配の歴史が続いた。朝鮮戦争では、同じ言葉を話す同じ民族同士が血で血を洗う戦闘を繰り広げた。

 それが、ベトナム戦争では「傭兵」として「何代も忘れない」という恨みを買っていたのだ。まさしく「戦争のリアル」であり、明日の日本軍の姿といえる。

 この間、金大中大統領らが公式にベトナム政府に謝罪しているというが、民間レベルでの謝罪と犯罪追及の行事が初めて開催されたのは、ベトナム戦争終結から40年以上経った昨年。なおかつ退役軍人で組織する「ベトナム参戦者会」「枯れ葉剤戦友会」などの妨害でソウルでは開催できず、大邱(テグ)でのみ開かれたという。これらの行事やハンギョレ21編集部への妨害工作は欧米の新聞、テレビでは大きく扱われたとのことだが、日本では報道されたかどうかも不明だ。

 韓国でこうした行事や、韓国人による平和紀行団のベトナム訪問2年前の2012年秋、ベトナムを訪れたが、ホーチミン市の戦争証跡博物館では「韓国軍憎悪碑」や韓国軍の蛮行の記録は見当たらなかった。日本人観光客の姿がほとんど見えない博物館では、1階に枯れ葉剤で障害を受けた人たちやその2世たちのコーナーがあり、不自由な手足で作ったお土産の飾り物などを売っている。目を背けたくなるような写真が並べられているが、韓国軍に特化したコーナーはなかった。しかし、ベトナム側が憎悪碑を撤去することはないだろう。ベトナムでは、韓国軍は戦争相手ではなく米国の「傭兵」として認識されているのかもしれない。

 安倍首相が勇ましく海外展開しようという自衛隊の「海外派兵」はまさに米国の傭兵として、米国の「敵」である相手国に乗り込んで、戦闘を行おうとするものだ。最後は何代にもわたって記憶される恨みを買うことになることは間違いない。

 韓国は軍隊をベトナムから撤退させた後、1975年に北朝鮮とともに非同盟会議への加盟申請をしたが、「傭兵」国家ということで韓国だけ拒否された。韓国では、これを戦後の朝鮮南北史の中で最も屈辱的な出来事としているという。ベトナム派兵特需で約10億ドルの収入を得たとしているが、外交上の敗北はそれを上回ったのではないか。民主化までの政治経済の不安定が、それを証明していると推察する。

 戦争は、戦闘行為だけでなく、その後の当事国の社会、環境、それに外交全般にわたって多大な影響を与え続ける。それが「戦争のリアル」といえる。

201562日)