容疑者肩書きの「自称」表記に潜む危険性 公権力が職業を認定?

720日付の東京新聞に載った月刊「創」編集長・篠田博之氏のコラム「週刊誌を読む」を読んでいて、ハッとなった。このコラムの主題はNHK問題だったが、ハッとなったのは、わいせつ電磁的記録頒布容疑で逮捕され処分保留で釈放された、ろくでなし子さんを大手メディアが一斉に「自称芸術家」との肩書きで報じたと篠田氏が書いている点だ。

 「恐らく警察が発表したのをそのまま報じたのだろうが、どう考えてもこれはまずいだろう」と記しているが、いそいでSNSなどを当たると案の定「自称」問題が沸騰していた。当然のことだろう。ろくでなし子さんも、逮捕された事件も知らなかったのでいろいろ調べてみると、彼女は漫画家としても有名で、よく知られている人物らしい。

 にもかかわらず、ツイッターに告発した人によると「自称」をつけて報じたのは朝日、毎日、産経、東京、共同、時事、ニッカンスポーツ、スポーツニッポン、スポーツ報知、サンケイスポーツ、中日スポーツ、日本テレビ、TBS、テレビ朝日、テレビ東京だという。

 よく知られている人物だけに、ちょっと調べれば分かるはずだが、こうした社の記者は篠田氏が指摘しているように警察発表に従って「自称芸術家」と記したのだろう。SNSでは「『自称芸術家の女を逮捕』という報じ方は、あまりにひどい」といったマスコミへの怒りがわき起こっている。有名人では堀江貴文氏や伊集院光氏も「自称」問題を批判している。

 ニュースを聞いたり読んだりした多くの人が「自称芸術家の女」との言葉を聞いただけで、「自称」という言葉の蔑視的なニュアンスから逮捕されるべき人物と思い込んでしまいがちだという点が、こうした批判の背景にある。

 さらに多くの記者たちが自分で調べずに、警察の判断だけに委ねていると見抜いているからこその批判といえる。逆に言えば、警察などの公権力が人々の肩書きを勝手に決めることへの怒りと恐怖だ。「私は芸術家です」と主張しても、警察が「そんなのは芸術ではない」と決めつければ芸術家ではなくなってしまうのではないか、という危惧に対するマスコミの反応はあまりにも鈍い。

 岡山県で起きた女児監禁事件でも、容疑者の男の肩書きは「自称イラストレーター」だった。「イラストレーターです」と主張しても警察官が「俺は見たことがない」と言って「自称イラストレーター」として扱われてしまったのではないか。この容疑者がイラストを描いていると報じていた社もあったが、「自称」は取れていない。

 だとしたら画家やイラストレーター、写真家など一人で活動している人の肩書きを誰が、どう決めるのか。SNSでは「一定程度の年収か?」とか「国など公権力が認定するのか?」など厳しい意見が続出している。会社勤めなどをしないで一生懸命作品を書き続け芥川賞を取った作家がいたが、この人も賞を取るまでは「自称作家」だったとなりかねない。

 ただ「自称」という表現自体は新しいものではない。逮捕された人物が警察官に「お前の職業は?」と聞かれ、小説家とか漫画家とかイラストレーターなどと答えたのに対し、警察側がよく知らないときに使われがちだ。

 記者が「容疑者の職業は?」と質問し、警察側が「本人は芸術家と言っているけどね。よく分からない」と答え、「じゃあ、自称芸術家としますか」程度の安易なやり取りが想像できる。自分でもそんな経験があった。

 しかし、ろくでなし子さんのケースは岡山の容疑者らと明らかに違う。それなりに有名人で、目をつけていて逮捕した可能性が高い。漫画を発表して収入を得ていることも先刻承知のはずだ。にもかかわらず「自称芸術家」としたことのあざとさはかなりのものだ。芸術に国の認定がいるのかということになりかねない。戦前のナチスを想起させる。

 安倍自公政権になってから秘密保護法の成立や集団的自衛権の閣議決定など戦前回帰を思わせる事態が次々と出ている。先の東京新聞の篠田氏のコラムも「国会で圧倒的多数を占める与党・安倍政権が次に狙っているのはマスコミを何とかしようということだろう」と指摘している。そうした状況下の「自称」表現であり、今回のケースをたいした話ではないと見過ごすことは危険だ。

 

2014724日)