啄木鳥 no.10                                                   「無関心な人々を恐れよ」

「無関心な人々の共謀」という小説をご存知だろうか?

 ポーランド出身の詩人で作家ブルーノ・ヤセンスキー(190139?)が37年に書いた長編小説(第1部で未完となった)だ。最初に読んだ時、小説の内容もさることながら、小説のタイトルの基となったエピグラフ(題句)に衝撃を受けた。ロベルト・エバルハルトの「ピテカントロープ最後の皇帝」の1節から採られており、次のような内容だ。

 

敵を恐れるな-かれらは君を殺すのが関の山だ。

友を恐れるな-かれらは君を裏切るのが関の山だ。

無関心な人々を恐れよ-かれらは殺しも裏切りもしない。

だがかれらの沈黙の同意があればこそ、

地上には裏切りと殺戮が存在するのだ。

(江川卓・工藤幸雄訳)

 

 ヒトラーが台頭した時、ドイツの知識人は小馬鹿にし、一般国民は関心を払わなかった。皆、自分とは関係ないと思っていたのだろう。ヒトラーが政権を取り、最初は共産党員を、続いてユダヤ人を弾圧した時も、普通のドイツ国民は無関心だった。しかし、この「殺しも裏切りもしない」無関心な人々の沈黙の同意に支えられたからこそ、ナチス・ドイツは周辺国に侵略することができた。当然「無関心な人々」も戦線に駆り立てられていった。行き着いた先は歴史でたどることができる。他のファシズム国家も似たような状態だったと思われる。

 

 第2次安倍政権が発足した後、国内では1930年代と今日を比較して警鐘を鳴らす人が増えている。しかし、ほとんどの日本人は知識人も含めて、戦前のファシズムに無関心なままで総選挙を迎えている。

 数少ない警世の作家の一人、半藤一利さんは「昭和史」で昭和12年(1937)の年頭の新聞に作家の野上弥生子さんが書いた文を紹介している。

「…たったひとつお願い事をしたい。今年は豊年でございましょうか。凶作でございましょうか。いいえ、どちらでもよろしゅうございます。洪水があっても、大地震があっても、暴風雨があっても、…コレラとペストがいっしょにはやっても、よろしゅうございます。どうか戦争だけはございませんように」

 昭和12年は中国で盧溝橋事件が起きた年である。前年の11年に、日本政府は「大日本帝国」と呼称することを決め、政府部内やマスコミには「中国一撃論」が飛び交っていた。今日の日本はどうだろうか。全国の書店に行くと「嫌韓」「反中」を売り物にした本ばかりが並べられ、まっとうな本は本屋の店先から姿を消し、アマゾンに注文しなければ買えない有り様だ。特に小書店に「反知性主義」が闊歩していると危惧せざるを得ない。そんな中で始まる総選挙。せめてロベルト・エバルハルトの一節を心にとめていただきたい。

 

 ちなみに、ヤセンスキーはポーランド共産党に対する弾圧でパリに亡命した後、空想的政治小説「パリを焼く」を書きベストセラーになったが、ポアンカレ政権の怒りを買ってフランスを追われ、ソ連に再度亡命した。しかしソ連に吹き荒れた大粛清で「トロツキスト」とされて逮捕、獄死しているが、死亡時期ははっきりしていない。第二次大戦後の1956年に名誉が回復され、逮捕直前に書かれた小説「無関心な人々の共謀」が大きな反響を呼んだ。日本では1975年、河出書房新社から「エトランジェの文学」シリーズの一つとして発刊されている。

 

 ヤセンスキーは「無関心な人々の共謀」というタイトルにどんな思いを込めたのだろうか。未亡人のアンナ・ベルジンによると、この設問に作中人物を借りて次のように語っているという。

 「無関心な人々の共謀が打ち砕かれるとき、幾千幾万の人々がその中立によって死刑執行人たちをほう助することをやめるとき、そのときこそ、この地表からファシズムの悪疫は消え去るであろう。ものを考える人間、働く人間はひとりたりとも反ファッショ戦線のそとにあってはならない」(了)