啄木鳥 no.11                                                   戦争準備と受け取られる追悼碑の撤去要請 安倍政権の戦争指向を先取りする地方自治体

群馬県が、県立公園に建てられている戦時中の朝鮮人強制連行犠牲者追悼碑に対し、設置した市民団体に撤去を要請したというニュースは、今後の日本の進む方向及び国際関係をみていく上で見過ごしてはならない憂慮すべき事件である。テレビでは報道されていないし、東京新聞を除いて新聞の扱いも小さい。しかし地方の自治体がつまらないことをしていると誤解していては大変なことになる。

 強制連行の犠牲者を追悼するということは、とりもなおさず韓国併合から太平洋戦争敗戦までの日本の行ってきた犯罪行為に対する責任と反省を踏まえたものである。群馬県の碑も「記憶 反省 そして友好の追悼碑を守る会」の前身団体である「群馬県朝鮮人・韓国人強制連行犠牲者追悼碑を建てる会」が建立したが、現在の団体名には戦前の日本の行為への反省が刻まれている。

 群馬県は撤去要請について2012年の集会で参加者の一部が行ったとする発言内容を理由にしているようだが、東京新聞の記事によると「などと発言した、との指摘が外部から県にあり、県は(設置期間)更新を保留」したという。

 つまり伝聞であるにもかかわらず、指摘した「外部」が誰であるかを明らかにし、その指摘が正しいか、一方的な見解ではないのかなどを確認もせずに、その時点で態度を保留してしまったということになる。

 何かいかがわしい行為を強権的に行う時に「難癖」をつけて強引に押し通すという手法は、戦前から多々見られた手法だが、お上が主張すると自動的に正しいかのように受け止めてしまう危険性が国民だけでなくマスコミの中にも色濃くある。

 今回も、撤去を要請する口実とした「発言」に対し、朝日新聞は「総連関係者が『日本政府は強制連行の真相究明に誠実に取り組まない』と発言した」と断定。一方の東京新聞は「12年の集会で一部の参加者が『日本政府の謝罪と賠償を求める』などと発言した、との指摘」と記載している。ともに県の言い分で内容を書いているのだろうが中身もかなり違う。朝日の記載通りだったら、いったいどの部分が問題なのだろう。朝日の記事にはそうした問題意識のかけらもみられない。

 第2次世界大戦の敗戦後、国内各地に同様の慰霊碑や追悼碑が建てられた。場所はいずれも犠牲者の出たところだ。追悼の原点は「反省」であり、慰霊することは非戦の誓いであったはずだ。しかし、今回のように難癖をつけて追悼碑を撤去しようということは、近隣諸国からみると、日本は再び戦争準備に入ったと受け取られても仕方がない。

 集団的自衛権の強引な閣議決定にみられる安倍晋三政権の戦争指向に、地方自治体がおもねって次々と「戦後レジーム」の破壊を先取りして始めているのではないか。そう思わせる例が他にもある。さいたま市の「9条俳句」月報掲載拒否である。

 さいたま市の公民館が「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」と詠んだ市民の俳句の月報への掲載を拒否した問題だ。市民からの批判が殺到している中で、さいたま市は回答マニュアルまで作成して、掲載拒否を貫く姿勢だという。

 「世論が大きく二つに分かれる問題で、一方の意見だけを載せられない」というのが公式回答だそうだが、さいたま市当局の姿勢には安倍政権の動きを見て「もう憲法9条は(事実上)廃止だ」と受け止め、反対意見の圧殺側に回ろうとしたのではないかとの意向が見て取れる。

 こうした動きは地方の行政だけでなく、明治大学などの教育機関など各地に及んでいる。一つ一つを取るに足らない動きとみるか、極めて危険な兆候とみるか。この先、事態がどんどん進んでいったときに「あの時が分岐点だったな」と思い返しても、もう遅いだろう。

 なぜなら事態は既に動いているからだ。沖縄タイムスは714日付で退役した元自衛官のインタビュー記事を掲載した。その中で元自衛官は「安倍政権になってから訓練の内容が大幅に変わった。人を標的とする訓練になった」と証言している。自衛隊はもう戦争準備に入っているのだ。

 

2014716日)