原発事故帰還困難区域の大熊町を見る(1)

NPO法人のバス視察に参加

 今年1122日早朝発生した福島県沖地震と津波。震源はいわき沖とあって地震後すぐに近隣の相馬市、南相馬市、双葉郡楢葉町、同広野町、同富岡町に避難指示が出されたが、双葉郡の中で大熊町と双葉町には避難指示は出なかった。ともに事故後6年を経過しても、年間20ミリシーベルトを下回らない恐れのある「帰還困難区域」に指定されており、帰還した住民がいないからだ。東京電力福島第一原発爆発事故の後遺症は、こんなところにもみてとれる。その、原発城下町ともいえる大熊町を見て回るバス視察に参加して、事故後初めて訪れた。

▽住民がバスツアー立ち上げ

 政府は2011311日に発生した東日本大震災と東電福島第一原発事故後、原発から半径20キロ圏内を「警戒区域」に設定。立ち入りを制限するとともに住民に退去を命じ、違反者に10万円以下の罰金または拘留という厳しい制限を加えた。また半径30キロ圏内を「緊急時避難準備区域」とし自主避難および子ども、妊婦等の避難を促した。さらに放射能雲(プルーム)が原子力規制法の想定域を超えて流れていたことから、飯舘村などを「計画的避難区域」に設定し、事実上全員域外へ避難させた。

警戒区域は2013年に見直されて、年間の積算線量が50ミリシーベルト(mSv)の範囲を「帰還困難区域」に変更したが、大熊町は依然として大半が同区域に入っている。隣の双葉町も同様の状態だ。

警戒区域や緊急時避難準備区域住民に対する一時帰宅は20116月ころから始まっているが、あくまで自宅への一時帰宅であり、町の様子を見て回ることはできなかった。こうしたことから住民が自分たちでスタディツアーや避難者支援などを行とNPO法人大熊町ふるさと応援隊(渡部千恵子理事長)を201410月立ち上げ、復興庁助成事業としてバス視察を行ってきた。

基本的に大熊町住民が対象だが、参加者が定員を下回るようになってきたため、町外の

住民も受け入れており、参加することができた。今回は17人中私たち6人が大熊町以外の参加で、渡部理事長や市川スミ副理事長らの案内で町内を見て回った。

旧警戒区域への視察は20139月、「福島会議」のエキジビションとして実施された、大熊町に隣接する富岡町での「旧警戒区域行ってみっぺツアー」以来となる。ツアーバスは郡山から出発したが、大熊町住民はいわき市や会津若松市、郡山市などに分散して避難している。県外に出ている人も少なくない。今回はいわき方面の住民が多く、大熊町の中で除染が進められた大川原地区にある連絡事務所で合流して、富岡町と大熊町の境にある「高津戸スクリーニング場」に。ここで各自に積算線量計が渡される。「行ってみっぺツアー」で着用した防護服も渡されたが、今回はバス中からだけの視察なので着用せず。

▽名前を一人ずつチェック

 

バスは国道6号を走って「三角屋」という交差点の東側にある「三角屋東ゲート」に。

ここで参加者全員の人数と名前をチェック。身分証明書となる免許証を見せ、町内を流れる熊川の河口方面に。この熊川の北側と国道6号の海側の部分が政府の指定した「中間貯蔵施設」予定地だ。北の境界は双葉町になる。

熊川小学校から熊川公民館辺りまでは、持参した線量計が1.92.2マイクロシーベルト(μSv)を指していた。ただ車内の座席の上で測ったもので、外部の線量ではない。熊川では遡上したサケの死骸が浮かんでいた。数週間前は遡上しているサケの姿が見られたという。付近には津波で半壊したままになっている家屋も散見される。

 

▽汐凪ちゃんの花園

 境川から海沿いを原発に向かって走ると「汐凪の花園」と書かれた看板が。2011311日の津波で行方不明となった木村汐凪(ゆうな)ちゃん=当時7=の父、紀夫さんがてたものだ(2016325日付け『津波で家族を失った被害者を長編ドキュメンタリーに』参照)。帰還困難区域にもかかわらず花園は整地され、南相馬の福興浜団らの支援で植えた菜種の芽が出ていた。少し離れた高台には汐凪ちゃんの地蔵も見える。線量計は2.09μSvを記録。

 汐凪ちゃんの花園から北に進むと第一原発に隣接した工場群が出てくる。震災前は製薬工場などがあったというが、既に国に売却され、仮置き場から運ばれた除染廃棄物の入ったフレコンバック(トン袋)が敷地内に積まれているのが見えた。途中の道では、線量が一気に7.3μSvまで跳ね上がった。

バスは来た道を戻り「三角屋東ゲート」に。係員が再び車内に入って人数と名前を確認。国道6号の向かい側にある「三角屋西ゲート」に向かう。この間、わずか50メートル。免許証で人数と名前の確認という全く同じ行為が行われる。渡部理事長によると、住民の中には「自分の家に行くのに、いちいち身元を示さなければならないのか」と怒る人も少くないらしいが、さらに目と鼻の先にある2つのゲートで、同じ事を繰り返すチェックへの怒りは強いという。

 

 

JRが常磐線の線路を除染

 西ゲートから入ったところは大熊町の中心街。常磐線大野駅周辺ではJRの手で除染作業も行われている。2020年までに開通させようとのことだが、街並みは全く手つかずだ。ただ大川原地区に向かうと、規制区域内なのに整地された区域が見えてくる。除染作業が行われている区域だという。大熊町役場の元管理職らで組織している「ジジイ隊」によると、国は当初帰還困難区域の除染を「全部やる」としていたが、そのうち「やらない」となり、住民らの追究で「400ヘクタール除染」となったという。現在はそのうち95ヘクタールを「先行除染」しており、見えたのはその区域。来年度は52ヘクタールを予定していると説明しているとのこと。参加者は「大川原スクリーニング場」で積算線量計を返却。2時間あまり規制区域内で過ごした積算の線量は2μSvだった。

 

750人の東電社員が居住

スクリーニング場から遠くない大川原連絡事務所は会津若松市やいわき市など5カ所に分かれている大熊町の役場機能所在地の一つだが、中心は清水建設を主体とした復興事業者の事務所。除染を進めて、近くには東電の寮や、発電所で働く作業員のための食事を作る給食センターも建てられている。住民の帰還は認めていないが、東電社員は特例として750人が暮らしている。

大熊町の住民にとって、現在の最大の問題は「中間貯蔵施設」。中間貯蔵と称していても、貯蔵開始から30年後に「県外最終処分場」が決まる可能性はほとんどないと、どの住民も認識している。渡部理事長の自宅も施設域内に入っているが、土地を貸すことや売却することに躊躇するものがあるという。

「冷静に考えれば、事故で出た廃棄物を他の土地に持って行けないというのは分かる。しかし『中間貯蔵』だといって、再稼働した原発の使用済み核燃料や廃棄物を込まれる恐れが消えない以上嫌だ」と渡部さん。

中間貯蔵施設の地主の中には渡部さんのように疑問を持っている人だけでなく、そもそも地主が分からないというケースも多い。石原伸晃元環境大臣の失言に見られるような、政府や東電の姿勢への批判も強い中で、政府はどのように進めようとするのか。最後は「金目」か、それとも「強行」されるのか、住民にとって苦しい状況は続く。

(続く)

20161122日)