蘇った120年前のトンネル群(埋もれた産業遺産をみる) 愛知、岐阜県境の「愛岐トンネル群」をみる(1)

明治の技術を示す「タイムトンネル」は今も健全

愛知県春日井市郊外、愛知県と岐阜県の県境に、見捨てられてから半世紀経って蘇った産業遺産がある。旧国鉄中央西線の「愛岐トンネル群」だ。名古屋地域では「秘境駅」として知られているという中央線のJR東海定光寺(じょうこうじ)駅から歩いて5分。駅周辺には自動車を駐めるスペースもない。定光寺駅は高さ10メートル程度の崖の上にあり、乗客は急な階段を上り下りする。秘境駅と言われるゆえんだろう。

 

  その駅の下の幅2メートル強の狭い道を通って、愛岐トンネル群の入り口に向かう。道路は庄内川に沿って走っており、川側には玉野用水が中部電力玉野水力発電所への導水路となって、かなりの勢いで流れている。入り口は庄内川上流にあるが、導水路を道の脇で見ることができるというのも珍しい。

 「愛岐トンネル群」は2009年、近代化産業遺産(続33)に指定された。今年に入って文化庁の登録有形文化財にも指定されている。定光寺駅から岐阜県側の最初の駅である古虎渓(ここけい)駅までの間に、100年以上も前に造られたレンガ造りのトンネルが14カ所あったが、現在公開されているのは愛知県側にある3~6号までの4つのトンネルだけである。

  トンネル群は文化庁の「NPO等による文化財建造物の管理活用事業」の委託事業として、NPO法人愛岐トンネル群保存再生委員会の手で保存と再生活動が行われている。当初は春日井市民向けのみの見学会だったが、近代化産業遺産の指定を受け、2009年から年2回春と秋に特別公開されている。

 今回訪れたのは「2016年秋の特別公開」で。再生委員会が見学用に立てた鉄製の階段を上ると、まず春日井市の勝川駅ホームに残っていてトンネル群発見のきっかけになった赤レンガの碑が迎える。その脇から赤レンガのトンネルポータル(出入り口)を見せている3号トンネル(76メートル)に。秋の公開はちょうど紅葉の時期に合わせており、色づいた紅葉に迎えられる。チラシには「懐中電灯持参のこと」と書かれていたが、砕石で足場は悪いものの、ぼんやりと外の光が漏れ、普通に歩くことができる。

訪れた日はウィークデーだったが、見学会を組織して訪れた団体がかなりいた。3号ト

ンネルを出たところに、廃線路を整理していて発見した部品や工具などを集めて置いてあった。この中で珍しいのは「2606」と記された陶器製碍子。同じ形をし「1948」と記された碍子も一緒に並べられている。

「これはなんだか分かりますか」と案内してくれた保存再生委員会のボランティア。「皇紀ですね」と答えると、「ほとんどの人は何ですかと聞き返してくる。若者だけでなく、壮年層も皇紀を知らない」という。ちなみに皇紀2606年は昭和21年(1946)。日本は敗戦して、皇紀という表記を廃止したはずだったが、地方では混乱していたのだろう。プラスチックに取って代わられる前、駅弁と一緒に売られていたお茶は土瓶に入っていた。その土瓶も出土して、並べられている。この昔懐かしい土瓶は多治見の陶器工場で復刻され、散策路の中の売店で売られている。

  4号トンネルを抜けたところには「三四五(みよい)の大モミジ」あり、紅葉シーズンには一番の撮影スポットとなっている。3号から5号まではだいたい同じ長さだが、6号トンネルは333メートルと3倍に。左に曲がっており、真っ暗。懐中電灯を用意しなかったことを後悔したが、何とか出口に。と、いきなり終点。愛知県と岐阜県の県境だが、庄内川に注ぐ川にかかっていた鉄橋が取り外されて渡ることはできない。ここまでの距離、1.7キロとのこと。再び来た道を戻るが、健脚の人には玉野古道を通る道もあるそうだ。通ってきた4つのトンネル。いずれも建設された当時のまま、大規模な補修などは行われていない。放置されてから50年余り経ったが、保存再生委員会によると今も健全だという。それだけ明治期の工事の質が高かったということだろうか。明治の技術水準を示す「タイムトンネル」であるかのようだ。

愛岐トンネル群を今見ると、いかにも小さいと感じる。明治期の小型機関車・車両に合わせて1898年8月10日付の鉄道局鉄作乙第437号告示で正式に制定されたトンネル規格(隧道定規)で造られたためだ。このため昭和期に入って機関車の大型化が進みD51などが通ると機関車と壁に30センチ程度の隙間しかなく、機関士が手を伸ばせば壁に触れたという逸話が残っているという。

  D51がギリギリ通り抜けていたトンネルが廃止されたのは1966年(昭和41年)3月12日、現・愛岐トンネル(2910メートル)の供用開始による。新しい愛岐トンネルの開通で中央西線は翌1967年電化。小型SLを想定して造られた14の愛岐トンネル群は多くの人に顧みられることなく眠っていた。

(続く) 

以下、発見の契機と保全活動。遺産保護の問題点など