ブックレビュー『昭南島に蘭ありや』(佐々木譲著)

安倍晋三首相は今月末、ハワイを訪問し、オバマ米大統領と真珠湾を訪問する。日本海軍連合艦隊による1941年12月8日の真珠湾奇襲攻撃は「卑怯な戦争」の象徴だった。米国では今でも「shame」という言葉が使われている。「恥ずべきもの」とでもいう内容だ。そうした状況で、安倍首相はどんなスピーチをするのか、これまでの原爆の日や主戦記念日の演説を聞いていた限り、血が通ったものになるのかどうか疑問だが、第2次大戦の総括をそれで終わらそうとするなら、問題を複雑化することは間違いない。

 海軍が真珠湾を攻撃するのと同時に、陸軍はマレー半島作成を開始した。米国だけでなく、英国、オーストラリア、オランダとも戦争を開始したのだ。しかし「開戦から75年」をうたった日本の新聞各紙にはマレー作戦開始は書かれていない。そんな中、10月25日付けの東京新聞朝刊「平和の俳句」特集に『シンガポール大戦中は昭南島』との句が載った。日本放送協会(NHK)昭南中央局に軍属として配属された神奈川県在住の元職員が詠んだ句だ。昭南島とは、日本軍がシンガポールを占領した42年2月から敗戦までの3年半、日本領としたときの名前だ。「昭南島」とは「昭和の御代に新しく日本領となった島」という意味があったらしい。

 その昭南島をタイトルにした小説がある。佐々木譲の『昭南島に欄ありや』(1955年8月、中央公論社から刊行、その後中公文庫に収録)だ。毎年多くの日本人がシンガポールを観光で訪れているが、かつて日本政府がシンガポールをそんな名前で呼んでいたことを知っている人は少ないだろう。小説はシンガポールが昭南島となり再びシンガポールに戻るまでの3年半を、台湾出身の客家(はっか=漢民族のグループの一つとされているが、独自の言語を持つ)で、日本語がペラペラの大日本帝国本国臣民であり、植民者でも被植民者でもないという存在の青年を主人公に、開戦による日本人排除から東条英機首相暗殺計画(主人公によれば「(東条の)悪運が強く」不成功)に至る、シンガポールの戦争を描いている。

 開戦直後、主人公が働いていた日本人経営の商社は閉鎖され、社長は主人公の友人とともにチャンギ刑務所に捕らわれる。「シンガポールの蘭」と呼ばれていた社長の娘は兵営病院の隔離病棟に幽閉される。物語の前半は、日本軍がマレー半島を南下してシンガポールに侵攻するまで、主人公が3人と連絡を取ってインドなどへの移送を食い止める冒険談(第1部)。

 ところが主人公をスパイとみた英国軍とその手下に見破られ、マレー共産党ナンバー3の手引きで「やむを得ず」入隊した抗日華僑義勇軍(ダル・フォース)に入って戦争を行うことになってしまった(第2部)。第3部ではマレー半島側のジョホールバルから攻めてくる日本軍相手に攻防戦を展開。義勇軍が解散して地下工作に移ったのと同時に、主人公は前の会社に戻るが、そこで東条英機暗殺計画に組み入れられてしまうというストーリーだ。

 一読して感じるのは1部、2部の記述に比べて暗殺計画自体がかなり安直なストーリーだという点だ。著者が書きたかったことは、侵攻する日本軍あるいはその「従軍記者」的な立場ではない側から見たシンガポールでの戦争だったと思われる。

 「昭南島」をうたった平和の俳句を紹介した東京新聞には、「シンガポールの中心街に『日本占領時期死難人民記念碑』という白い巨大な塔が建つ。第二次世界大戦中の歴史を知らずに訪れ、言葉を失う日本人は少なくないだろう」との記述がある。「死難人民」とは、日本が占領した直後から次々と捕らえられ、「大検証」と称して殺害された華僑青年だ。その数は東京新聞によると「5千人から5万人ともいわれ」、『昭南島に蘭ありや』の解説では「シンガポール在住華僑20万人の1割、2万人を虐殺」とされている。

 日本の一部では在住華僑が抗日ゲリラやテロなどを行ったため(の虐殺)であるかのような意見があるが、佐々木譲は主人公の目を通して、シンガポール上陸作戦時に手を焼いた日本軍が占領直後から無闇に華僑を摘発して殺害していたと指摘している。本書には実際に存在した組織がいくつも出てくる。その一つが対インド工作のために1941年発足したF機関だ。参謀本部の藤原岩市少佐を機関長とする特務機関で、終戦時まで姿を変えて存続したが、その藤原機関長がシンガポール占領直後の祝賀会に乗り込み、山下奉文中将らのいる前で警備司令官の河村参�カ少将に向かって「壮年の華僑男子を片っ端から引っ立て、大虐殺を行っている」と抗議、即刻止めるよう主張したというエピソードを書いている。辻政信参謀が「華僑が半分になったっていい」と徹底弾圧を主張したということも書いているので、たぶん実際にあった出来事だろう。

 しかし戦後の日本は、そんな歴史を学ぶことなく、今日に至っている。中国南京での住民虐殺と同じように、シンガポールやフィリピンで行った住民虐殺についても「まぼろし」とか「ねつ造」「デマ」などと決めつけ、真摯に謝罪してこなかった。ただ、シンガポールに着任した日本人は具体的な数字は分からないまでも、多くの現地人を殺していたことは知ったらしい。平和の俳句を詠んだ元軍属も「内地では全然知らされていなかったからびっくりしました。ひどいことするなぁと」とインタビューに答えている。その声は大きくならないまま、むしろ圧殺されそうな気配さえ漂う。20年ほど前に書かれた本書は、その意味でも読み直されるべきだろう。

(2016年12月12日)