コラムno.21                                                         原水爆実験の被害調査がフクシマ事故被ばく者の力に                                                                     米国では20年前、政府が「アトミック・ソルジャー」を調査

ニューヨーク生まれの22歳の青年、マイケル・ハリスは召集兵としての2年目を太平洋の島で送ることになった。真っ青な空、緑の海、そして、なぜか灰色のコンクリートばかりの島。着任したその日、ハリス青年は「(海底に潜んでいるオニオコゼで足を怪我するので)スニーカーを履けよ」とのアドバイスを受け、さっそうと海に飛び込んだ。そこで、とんでもないものに遭遇する。三つ目の魚だった。ハリス青年は大あわてで陸に上がり、二度と海には入らなかった、という。

 『ぼくたちは水爆実験に使われた』(原題『アトミック・タイムズ』2006年、文春文庫刊)のはじめの一節。ハリス青年が連れて来られたのは南太平洋のエニウェトク島。1955年8月のことだ。日本のマグロ釣り漁船、第5福竜丸がビキニ環礁で行われた「ブラボー・ショット」と呼ばれる水爆実験で被ばくした1954年3月1日から1年半近く経った時期の出来事である。ハリス青年が所属したのは、正式名称「原子力委員会太平洋実験場第7合同任務部隊エニウェトク島司令本部」。ここでハリス青年は12回もの水爆実験を「目撃する」という任務につく。具体的には、従事した任務は「レッドウィング」作戦の“支援活動”。何の支援だったのだろう。それは40年後明らかになる。

核実験〝目撃〟で深刻な被ばく

 太平洋における米国の核実験は、ビキニ環礁で行われた1946年の「クロスロード」作戦に始まる。この実験には242隻の船、156機の航空機。42000人の兵隊が立ち会った。続いて1948年、エニウェトク環礁で「サンドストーン」作戦。1951年同じくエニウェトク環礁の「グリーン・ハウス」作戦。1952年11月1日「アイビー」作戦と続く。この時の「マイク」と名付けられたデバイス、つまり実験用爆弾は第2次世界大戦で使用された全ての爆弾を合計したより強大で、エルゲラブ島と呼ばれた島が消滅した。

 そして1954年に「キャッスル」作戦と命名された高威力熱核装置の一連の実験が行われた。実験は6回行われたが、3月1日の初回「ブラボー」と呼ばれたデバイスの爆発(ショット)は「米国史上最悪の放射線惨禍」を引き起こした。「少なくとも236人のマーシャル諸島住民、23人の日本人漁師、31人のアメリカ人がこの危険な灰をもろに浴びた」(P135)。第5福竜丸の被ばくで、日本中に「原爆マグロ」ショックを引き起こした核実験である。

 日本など米国以外の国で大きな騒ぎになって、米原子力委員会の科学者などはいろいろ説明したが「(米当局者の発表には)ひとつ問題があった。真実ではなかったということである。マーシャル諸島では現地住民の子ども18人が(「雪」の中で遊んだ後に)死亡していた。同じく被ばくした日本人漁師、久保山愛吉氏も他界した」(P136)と著者は言う。

 「それからしばらくして『ニューヨーク・タイムズ』にまた一つ不穏な記事が載った。エニウェトク環礁の珊瑚は『まだ水中に放射性物質が滞留している』というのである」。駐留している兵士たちには秘密にし、自由に水泳などをさせながら、一方でこうした発表をしたことに著者は怒る。

 さらに、島唯一の「飲み屋」に来た海軍の兵隊たちと懇談して、とんでもない話を聞かされる。

▽チェロキー実験から数時間後、上官からビキニ島はもう安心だと言われ、グラウンド・ゼロから20マイル離れた島に上陸させられた水兵。しばらく遊んだ後、胸のフィルム・バッジが変色しているのに気づき、慌てて艦に戻った。「翌朝から髪の毛がごっそり抜け始めた。歯茎から血が出だした」。(P247)

▽ビキニ環礁から全速力で移動しようとしたところ、甲板にいた水兵たちに降下物が降りかかった。「全員顔が真っ赤になった。次の日にはほとんどの兵隊が高熱を出した」(P248)

▽実験30分後にグラウンド・ゼロの調査に行かされた水兵たちは短パンとスニーカー、Tシャツも持って行かなかった。一緒に行った科学者たちは全員放射線防護服を着ていた。兵隊たちは足の裏に水ぶくれができ、全身に発疹症状。吐き続けている兵隊、髪が真っ白。腿から胴にかけてびっしりと黒いかさぶたができていたという。(P251)

 などなど。しかし、こうした具体的な話は兵隊たちの間で語り継がれることはあっても、オープンになることはなかった。

住民帰還にも「人体実験」の疑い

 米国で、放射線の人体実験に使われた人たちやアトミック・ソルジャーの調査が行われたのは、1990年代になってからだ。94年1月15日に、就任したばかりのクリントン大統領命で「人体放射線実験に関する諮問委員会」(委員長、ジョンズ・ホプキンス大教授ラス・ファーデン)が設置されて調査が始まり、翌95年最終報告書が提出された。一連の核実験から半世紀近く経った後だ。

 その『最終報告書-人体放射線実験に関する諮問委員会』という英文1000ページの報告書の概要は、『原爆開発における人体実験の実相-米政府報告書を読む』(河井智康著、新日本出版社刊)にまとめられているが、諮問委員会が調べただけでも米政府機関の実験は①病院患者へのプルトニウム注射②精神障害児へのラジオアイソトープの投与③囚人を使った睾丸放射線照射④兵士による核戦争被害の実験⑤ウラン坑夫の被ばく体験調査⑥マーシャル人の被ばく体験調査・実験⑦全身放射線照射実験⑧放射能散布実験~など、タイトルだけでも身の毛がよだつようなものであった。

 このうち④の「兵士による核戦争被害の実験」では「軍人、水兵、航海士、テスト従事の一般人など20万人以上が実験要員となった」(P89)とある。また⑥の「マーシャル人の被ばく体験調査・実験」では、ブラボー・ショットによる第5福竜丸の乗組員やマーシャル諸島の住民に対する記述がある。第5福竜丸以外の日本のマグロ釣り漁船乗組員被ばくに対する記述はほとんどないが、第5福竜丸と同様「規制区域」外にいて「死の灰」(フォールアウト)を浴びたロンゲラップ島住民に対する記述の中で、米政府がいったん避難・隔離した同島住民を強制的に帰還させたことに触れている。

 諮問委員会報告は、この帰還に対して「ロンゲラップ人の最初の被ばくあるいは後の再定住を故意の人体実験とする証拠を見出していない」と記載している、という。「証拠を見いだせなかった」ということは、住民の帰還・再定住に嫌疑があったということにほかならない。

 今、フクシマでは東電福島第一原発の事故現場周辺の住民の帰還が様々に図られている。実態が不明確な「除染」をもって帰還させ、賠償金を打ち切るという手法自体悪質だが、米原子力委員会(当時、現エネルギー省)が疑われたような、帰還が「故意の人体実験」を意図しているとすれば、犯罪以外の何物でもない。米諮問委員会が調査した「人体放射線実験」を行ったのは、科学者だったことにも留意する必要がある。

日本もようやく調査開始

 不十分との指摘があるにせよ、米政府は大規模に人体放射線実験を調査した。しかし『ぼくたちは水爆実験に使われた』の訳者・三宅真理さんによると、エニウェトク島にいたころから克明に記録をつけ、執筆を始めていた著者マイケル・ハリスが、この著作を世に出したのは政府調査書公表からさらに10年後。2005年になってからという。書かれている内容を読むと、つい最近の出来事のように感じるが、発表までにはそれだけ長い年月を要したのだろう。

 ビキニ水爆実験の放射能被害は、第5福竜丸だけに焦点が当たっているが、他にも多くのマグロ釣り漁船が周辺海域で操業、被ばくしていたことが最近になってわかってきた。特に、愛媛県にある南海放送のディレクター、伊東英明氏が10年間にわたって取材し、何回かドキュメンタリーを放送。最近も「放射線を浴びたX年後」としてドキュメンタリーにまとめ、同名のタイトルの本にもなって、脚光を浴びるようになった。

 確かに当時の新聞を見ると、例えば朝日新聞は第5福竜丸被ばくで世間が大騒ぎしている中、1954年3月18日付朝刊社会面トップで「また放射能船」「ひろがる『マグロ恐怖』」として、第5福竜丸とは別の海域で操業していた漁船からも放射能を検出したと伝えている。確実にビキニ環礁で操業していた漁船は、環礁の南側に8隻、東側に20隻がいたことが当時から分かっており、全体では延べ1000隻にも達すると推定されている。

 現在判明しているだけでも、水爆爆発の閃光を目撃し「死の灰」を浴びた漁船は第5福竜丸の他、第7大丸、第11高知丸。「死の灰」を浴びた漁船は第2新生丸、第11日光丸、第2幸成丸などがあがっている。しかし、乗組員の調査は全くといっていいほど行われてこなかった。米政府から「見舞い」という名の賠償金が出たらしいが、伊東英明氏の『放射線を浴びたX年後』によると、被ばくした乗組員には行き渡らなかったという。

 伊東氏だけでなく、在野の研究者の調査などを受けるような形で、厚生労働省は今年、ようやく調査に入ることを決めた。米でクリントン大統領命の調査が行われてから、さらに20年経ってのことである。ブラボー・ショットから60年過ぎている。ほとんどの乗組員は亡くなっていると思われるが、亡くなり方を含めた徹底した調査が求められる。特に、被ばく者がどんな症状を訴えていたのか、被ばくしてから平均して何年で発病していたのか。こうした調査の結果は、現在福島第一原発事故で被ばくしている人たちの救済にも大きく役立つに違いない。

2015410日)