コラム


大飯原発福井地裁判決と原子力ムラ

福井地裁が5月22日示した関西電力大飯原発稼働差し止め判決は画期的なものだが、東京電力福島第一原発事故を考えると至極当然な判決ともいえる。翌日の新聞各紙もこの判決を1面トップで扱ったが、在京紙をみると安倍晋三首相の集団的自衛権を容認する解釈改憲発表と全く同じように、読売新聞と産経新聞だけが他紙と異なる姿勢を示した。

 この後、週刊文春や週刊新潮が追随するのだろうが、読売の記事には放置できない点が多々ある。公称発行部数一千万部、世界一の発行部数を豪語している新聞であり、読売の記事のみを読んで「福井地裁は問題だ」などと認識してしまう国民が出てくる可能性があるだけに、きちんと反論する必要がある。

▼機能した「最悪シナリオ」

 読売の論調を一言でいえば、実際には「最悪のシナリオ」にならなかったではないかという結果オーライ論だ。その主張を無理矢理押し通すために「判決、規制委を無視」「原発に『ゼロリスク』要求」「科学的検討は希薄」などと扇情的な見出しを並べた。相当な割合の国民が福島第一原発で起きた事故がどんなものだったのかという点を忘れかけ「原発が稼働しなかったら電気料金は高くなる」という宣伝文句に乗ろうとしている時期だけに、再結集している「原子力ムラ」は福井地裁判決に、寝た子を起こされたようなショックを受けているのだろう。読売の扇情的な見出しと記事は、そのショックの表れともいえそうだ。

 しかし「最悪シナリオ」は本当に科学的根拠が希薄なものだったのだろうか。「最悪シナリオ」とは、菅直人首相(当時)が近藤俊介原子力委員長(当時)に依頼し、事故が収束しなかったらどこまで進むのか、事故の「底」はどこなのかを専門的立場から求めたものだ。

 これに対して、読売は「この資料は、そもそも前提条件が不明な中で急きょまとめられた内部資料で、実際には、4号機(の使用済み核燃料)プールは最悪の事態は回避された」と、あたかも意味のなかったものであるかのように書いている。

 当時の状況を全面的に記載しているかどうかの判断は分かれるだろうが、船橋洋一氏の「カウントダウン・メルトダウン」を読むと、最悪のシナリオ作成に至る状況がよく分かる。

 同書によると、近藤チームだけでなく自衛隊や米国も3号機爆発の直後から、それぞれ「最悪のシナリオ」を検討。当時のトップレベルの専門家が、様々な前提条件を検討しながら徹夜で作成していた。これらのシナリオは独立して作成されたものであっても、概要はほぼ同じだったと同書は指摘している。

 東日本を放棄し、首都からも皆脱出する事態も想定した最悪のシナリオは、実際にそうならないように緊急に打たなければならない最重要点をまとめたものに他ならない。最悪回避のためにシナリオが要求したのは①原子力格納容器への窒素封入②高所からの注水とその装置の遠隔操作化③4号機使用済み核燃料プール底部の強化〜などだった。

 最悪の最悪が避けられ、東京や首都圏から数千万人が脱出せずに済んだ最大の要因は、「キリン」と名付けられたコンクリートポンプ車が稼働したこと(上記の②)に加え、最も恐れていた大きな余震が4号機のプールを支える土台を強化する前に起きなかったこと(上記の③)が大きい。プールが余震で崩れ、核燃料を冷却するとともに核分裂しないよう抑えている水が流れ落ちてしまったら、一気に核爆発が起こり、日本の東半分は生き残れなくなる恐れもあった。それを読売の言うような「前提条件が不明なままで急きょまとめた」と一刀両断で片付けられたら、必死に検討した当事者はやるせないだろう。

 大規模な余震が続いて起きなかったことは、日本と日本人にとって「ついていた」ケースとしか言いようがないが、そのことと科学的根拠の話は別だ。大飯原発でも「最悪のシナリオ」通りの展開となったら、大阪や神戸、京都から脱出せざるを得なくなる。ところによっては二度と住めなくなる土地も出てくる。こうした視点を欠落して、(最終処分問題を抜きにした)料金体系を示しコスト云々をいう電力会社と政府、原子力ムラに福井地裁は「本当の国富とは何か」を突きつけたといえる。

▼「神風頼み」的な現在の再稼働基準

 米航空宇宙局(NASA)は「最悪を想定してプロジェクトを進める」とよくいわれているし、実際に当局者からもそのような発言を何度も耳にした。実際はどこまでを「最悪」と認定するかで判断が分かれ、トラブルになったこともあったが、少なくとも「最良」だけを想定し、いざとなったら「神風が吹く」と神頼みとなる日本のプロジェクトよりも遙かにましだ。

 規制委が検討しているのは、あくまでも規制基準。安全基準ではない。どこまで安全なのか、きちんと答える体制にはなっていない。例えば、鹿児島県の川内原発(九州電力)の場合、火山学会から阿蘇山のような巨大噴火が起きた場合の検討が不十分と言われても、田中委員長は「予知できたら核燃料を原発から取り出して、外に運ぶ」と暢気な見解に終始している。発電中の原子炉から直ちに燃料集合体を取り出すことなど可能なのか。できたとしても、使用済み核燃料や未使用の燃料などがストックされているプールから全燃料を取り出すのに、どのくらいの時間がかかるのか。さらに、いったいどこに運ぶのか、運び先は決まっているのか、などはあいまいなままだ。それで「安全」と言えるのだろうか。火山学会は予知できたとしても直近しか不可能と警告しているのにもかかわらず、だ。

 田中委員長は、朝日新聞のスクープで明らかになった福島第一原発事故に対する「吉田(所長)調書」を読んではいないし、読む気もないと述べ、教訓をくみ取ろうとはしていない。

 国会事故調は2012年に発表した報告書で次のように述べている。「本事故の発災のタイミングは、事故対応に有利な条件が重なっていたといえる」(事故の進展と未解明問題の検証)

 事故調のいう有利な条件とは、事故が起きたのは平日の通常運転時間帯だった。当日は晴天、屋外活動を妨げる強風や降雨もなく、そのような日々が数日続いた。干潮に近い潮位の時刻だった。全部の原子炉が稼働していたのではなく、4〜6号機は定期点検中だった、などというものだ。事故発生時にこれらの条件が重なった上、大きな余震が起きず最悪のシナリオを回避できたことが事故を局地的に抑えられた要因だったが、先のキリンによる注水を除いて、いずれも「ついていた」というほかない。

 だから国会事故調も「原子力災害はいつ発生するか分からない。そのため、どのような条件下で原子力災害が発生しても、それに対処しうる体制の構築とその実効性ある運用が必要である」と結んでいる。

 しかし依然として原発推進派は「想定したくないものは想定しない」という福島事故以前と変わらない姿勢を見せているようだ。事故の風化とともに「再稼働」攻勢が強まっている。読売の記事だけを読んでいる人々は、ひょっとしたら再び安全神話の世界に閉じ込められてしまうかもしれない。だが神風が吹くことを前提とした安全基準などはあり得ない。

 関電の控訴で大飯原発の再稼働に対する審理は大阪高裁に移った。高裁は福島原発事故をどう評価し、地裁判決をどう判断するのだろうか。まさか「日本は神風が吹く国なので、原発稼働は問題ない」などと世界の笑いものになる判決にはならないと思うが。

2014526日)