コラム


STAP騒動、何が問われているのか

 理化学研究所発生・再生科学総合研究センターの小保方晴子ユニットリーダーによる研究論文不正疑惑が続いている。賞賛から一変、メディアは疑惑を報じ立てたが、本人の「涙ながらの訴え」が効いているのだろうか、世間では「おぼちゃんが可哀想」という感情的な同情が多いという。それで通るのなら、日本とはその程度のレベルと世界に認識されるだけだろう。

大騒動が始まったのは、ネイチャーに掲載された論文が「ノーベル賞級の快挙」と大々的に喧伝されたからだ。しかしネイチャー論文を読んだ匿名のボランティアたちが直後から疑問点を次々と示し、当初「論文の根幹は変わらない」としてきた理研も331日、「研究論文の疑義に関する調査委員会」が2点について研究不正行為があったと認定した。これに対し、小保方は未熟だったが悪意はなかったとして不服を申し立てた。さらに410日、記者会見した中で「200回以上成功した」と宣言したことから、新たな展開を読んでいる。という状況だ。

この間、朝日新聞記事を巡る「場外乱闘」も起きているが、科学者とされる人たちからの反応は鈍い。そんな中、有機化学美術館・分館のブログに面白い記事が載っている。長文なので引用は避けるが、411日付けの「STAP細胞の『不正』とは何だったのか?」をぜひご一読いただきたい。「未熟な」記者の大スクープの顛末に置き換えて説明しているが、今回の「事件」の核心部がどこにあるか、よく分かる。(blog.livedoor.jp/route408

私は生化学に明るくないし、この「事件」の本質は「STAP細胞があるのかどうか」ではないと判断しているので、有機化学美術館・分館の「未熟記者」への置き換えのように、一連の展開について「科学」とは別の視点から見てみたい。

▼証拠の改ざんは裁判ならアウト

裁判に例えてみよう。検事が作成した訴状(論文)と一緒に提出した証拠(データ類)に虚偽があったが、犯罪は明白なので問題はないと主張されたら、どう思うだろう。小保方側の主張は、これと同じ論法といえる。

村木厚子・現厚生労働事務次官が罪に問われた「障害者郵便制度悪用事件」を記憶している人も多いだろう。この事件では検事が証拠となるフロッピーディスクの中身を改ざんしていたことが分かり、村木さんは無罪となった。改ざんは検察を揺るがす大きな問題となり、今も取り調べを全面可視化するかどうかの議論が続いている。この事件では、改ざんした検事は当初「過失だった」あるいは「遊びのつもりだった」と主張し、上層部も「訴訟の根幹は変わらない」として問題としなかった。不思議と小保方氏の「悪意はない。差し替えても結果は同じ」との主張や、理研が当初言ってきた「論文の根幹に影響ない」という論法に通じる。最近も、袴田事件で公判の途中、どこからか出てきた「味噌蔵から見つかった血のついた衣服」の証拠価値が大きな問題となったことは記憶に新しい。本当に「有罪」と思うなら、あらためて訴状を書き直し裁判に訴えることが第一であり、証拠も新たに精査するのが当然である。

▼手の込んだ加工も「悪意」なく?

今回の事件に戻してみよう。理研の規程では「研究不正」を「研究者が研究活動を行う場合における次の各号に掲げる行為をいう」と定義し、改ざん、ねつ造、盗用を不正行為としている。この条文には但し書きがあり「ただし、悪意のない間違い及び意見の相違は含まないものとする」とつけている。小保方側はこの但し書きを争いの根拠として「悪意がない」と主張。ミス(=過失?)であることを訴えている。

科学研究に対する「不正行為」は犯罪行為と同義語ではないので、規程の「不正行為」とは法律に違反しているかどうかではなく、「故意に行った」正しくない行為と解すべきだ。となると、故意ではない行為とは単純なミスや思い違いによって、結果的に捏造、改ざんになってしまった場合と解釈できる。当然ながら「盗用」には、うっかりミスは存在しない。手の込んだ加工が単純ミスといえるのかどうかが第一の問題だ。

それというのも、調査委員会報告書によると、小保方氏の行為は単なる画像の取り違えレベルとは認められない。まず不正と認定された電気泳動の画像。2枚の写真を切り張りしただけでなく、一つの画像を1.6倍に引き伸ばすなどの工夫を加えて加工、一つのものに見せかけたことを認めた、という。小保方は「やってはいけないこととは知らなかった」「未熟だった」と弁明、悪意でやったものではないと強調したが、一般社会の常識では証拠の改ざんはそれだけで許されるものではない。

第2点の博士号論文に使った画像を使用している点の顛末はもっとひどい。小保方が「自分で」画像の間違いに気づいて理研に申し出たのは220日として、自主的に発見、他から言われたのではないとした会見だったが、時系列的にみると、この時点では既に論文疑惑の予備調査が始まっていた。匿名の告発などを受け理研が問題だと認識したのは調査報告書によると213日。

その220日段階の説明は、2つのSTAP細胞からの作成した画像を取り違えたというもので「それぞれの実験の過程で、脾臓と骨髄に由来する血液細胞のサンプルに同じ内容のラベルを用いていたため混乱し、画像を取り違えた」と報告した、という。つまり2つのSTAP細胞の画像を取り違えたと報告した単純ミスに聞こえる。

しかしネイチャーに掲載された画像はSTAP細胞ではなく、2011年に早稲田大学の学位論文に用いた別のsphere細胞の画像だったことが分かり、本人も認めたという。学位論文の細胞はSTAPとしていなかった。この説明に、悪意がない(つまり故意ではない)とどうして判断できるのだろう。さらに、この画像については2012年にネイチャーに投稿したがボツになっていたという経緯も調査委員会で判明した。

そんな状況下、記者会見では「正しい画像はこれ」と画像を映したが、前後関係もなく、一定の時間が経ってからの内容不明な画像の提示は、袴田事件の「味噌樽の中から出てきた衣服」を彷彿させてしまう。

小保方弁護団の方針は、世間の同情に訴え、規程の但し書きにある「悪意」にしがみついて地位保全を勝ち取ろうということではないかと推察される。野依良治理研理事長が会見で吐露した「未熟な研究者」を前面に出し、涙の訴えで「悪意がない」と訴えているのだろうが、地位保全裁判になった時に「悪意」=「故意」との判断がどう出るのか、日本の科学だけでなく司法の水準も試されるに違いない。

▼正しい手続きを諭す人はいない?

私はこれまで日本の研究者も外国の研究者と同様、研究結果は真正なデータをそろえた論文で発表して、それが客観的に評価されて初めて成果を得ているものと理解していた。

しかしSTAP騒動はこうした基準のようなものを粉砕してしまったようだ。小保方の「STAP細胞は存在するから論文を撤回しない」との強弁は、研究者とての矜持を放棄したものと思える。日本の生化学の状況に明るくないので分からないが、他の科学者もこうした「結果が正しいから、それに合わせたデータを細工して作る」という論文作成を日常的に行っているのだろうか。

科学者の間から問題を指摘する声が少ないのをみると、そんな疑惑も生じてくる。それは科学者にとって研究とは何か、論文の役割は何かという根源的な疑問だ。小保方氏らがネイチャーに発表した論文に不実な記載があったことは、不正ではないとしている小保方側も認めている。にもかかわらず会見で何度も「悪意はなかった」と繰り返したことは、弁護団からの助言だろうが、ごまかし以外の何物でもない。さらに論文の撤回を「STAP細胞がなかったことになる」と拒否していることも、問題のすり替えといえる。

欧米の刑事ドラマを見ていると、正しい法手続を踏まずに証拠を得ようとする刑事に、同僚が「不正に得られた証拠は(例え真実でも)裁判では証拠価値がない」と諭す場面が必ず出てくる。米国では違法に証拠を収集した司法職員は罰せられる。法治国家なら当たり前の論理だが、理研の中だけでなく、科学界にも諭す人が見えないことは日本にとって不幸なことだ。